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特集

岩の大地に刻まれた
悠久の時間

APRIL 2007



 ナバホ砂岩層には、化石など生命の存在を示す痕跡はほとんど残されていない。しかし、1億6000万年ほど前のジュラ紀後期になると、それまでとは違う景観が一帯に広がっていた。森が点在し、川が流れ、沼地や内海が豊かな水をたたえる環境のなかで、恐竜やワニ、海生の大トカゲ、巨大なサメなどが生息した。こうした生き物たちの化石が、泥や炭酸塩が堆積した地層のあちらこちらから見つかるのだ。

 ユタ州南部を走る道路脇に、切り立った峡谷がある。そこには、乾燥した砂地が、動植物の繁栄するジュラ紀後期と白亜紀の湿った環境に変化した痕跡が残っている。砂岩の上に石炭層が重なっているのは、沼地があった証拠だ。その上には、太古の昔、ここが海岸線だったことを示す、泥混じりの砂が固まった層が細長く伸びている。そして、さらにその上には貝の化石層があり、ここが入り江だったことを物語る。

 こうした地質の記録に比べると、人間が残した痕跡など、実に取るに足りないもののように思える。100年ほど前に繰り広げられた、苦難に満ちた開拓の物語でさえ、今ではその形跡を見つけるのも難しい。例えば、新天地を求めてユタ州南東部に分け入ったモルモン教徒たちの物語だ。男女、子供を合わせて250人ほどの一行は、1879~80年の厳しい冬に、高い尾根に沿って道を開きながら進んだ。

 コロラド川がはるか下に流れる渓谷にさしかかると、一行はロープと鎖を使って、83台の幌馬車を550メートル下の谷底まで下ろした。そして、幌馬車と家畜を引き連れて、川幅が100メートル近い冷たい流れを渡り、対岸の断崖をよじ登った。

 でも、本当の試練はその先に待っていた。彼らは乾いた土地を耕し、牛を育てなければならなかったのだ。コロラド高原には、こうした開拓者たちが興した町がいくつかあったが、今では消滅したり、さびれ果てたりしている。

 第2次世界大戦後の数年間、多くの人々がこの荒涼とした高原に押し寄せた。核兵器や原子力発電の原料として、需要が高まっていたウラン鉱を求めて、採掘者が集まったのだ。しかし、ウラン鉱の採掘で大儲けをした人はごく一部で、ウランの需要が峠を越えた1970年代以降、採掘者は高原から消えた。彼らが去った後には、崩れかけた小屋や錆びついたトラック、かすかに放射能を帯びた廃石の山が、はかない夢の跡として残された。

 先住民もまた、この一帯で暮らしていた証を残している。ユタ州内の数百カ所の遺跡から、彼らが描いた絵が見つかった。それは人間の姿のようだが、多くが実際の人間よりも大きく、目がなかったり、腕や脚がなかったりするものもある。おそらくは神なのだろうが、誰が描いたものなのか、詳しいことはわかっていない。狩猟採集民が暮らしの痕跡を残すことはほとんどなく、壁画は例外的なものだ。

 最近になって2カ所の遺跡で壁画に使われた絵の具の小さな破片が採集され、放射性炭素による年代測定が行われた。その結果、これらの絵は8500年ほど前に描かれたものであると推定されている。この年代測定が正しければ、先住民たちが残したこうした絵は、これまでの通説より倍以上も古い時代に描かれていたことになる。

 岩肌に描かれた絵が数多く残っている場所はほかにも多い。人間だけでなく、クマやシカ、ヘビ、サソリなどの動物が、岩絵として描かれていたり、刻まれたりしている。より新しい時代の人々が残した岩絵だ。

 後の時代にやって来た彼らは、驚きと恐れをもって、峡谷の岩肌に描かれた絵を眺めたことだろう。現在でも、この一帯を訪れる人々は岩絵に畏敬の念を抱く。だが一方で、オフロードバイクやオフロードカーを乗り回して、何十年かかっても消えないような轍を刻みつける不届き者や、貴重な岩絵に、ナイフで自分の名前を刻み込む心ない人々がいることも事実だ。

 それでも、そんなささいなことにわずらわされることもなく、この大地は、自らの物語を実に悠々と記し続けている。今でもこの高原地帯は地殻変動によって年に数センチずつ隆起し、浸食によってわずかながら表面を削られている。時はここでも進んでいるのだ。人間が気づかないほど、ゆっくりとした速度で。

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