/2007年4月号

トップ > マガジン > 2007年4月号 > 特集:カナダのタラ漁 大漁の夢今は遠く


定期購読

ナショジオクイズ

Q:現在のEVとはまったく違いますが、電気で走る車はエンジンで駆動する車が登場した頃からありました。その当時、電気で走る自動車を手がけていた自動車工学者といえば誰でしょう?

  • ルイ・シボレー
  • エンツォ・フェラーリ
  • フェルディナント・ポルシェ

答えを見る



特集

カナダのタラ漁
大漁の夢今は遠く

APRIL 2007



 2006年のタラ漁解禁日、午前3時。霧が立ちこめる寒い朝だったが、漁師の基準からみれば上天気だ。バウチャーは自宅を出ると、ラ・ポアルの村を貫く暗い小道をとぼとぼと歩いていく。ニューファンドランド島のなかでも、この集落はとりわけ不便な場所にある。村に通じるまともな道路は1本もなく、車が乗り入れたことなど一度もない。最初の村人が定住したのは19世紀。それ以来ずっと、村からの行き来は船に頼る生活で、仕事と呼べるものは、ほとんど漁業だけだった。のどかな風景に囲まれた静かな村だが、ここで暮らしていくことは、もはや難しくなりつつある。漁業で生計を立てられない若者たちは、仕事を求めて村を出るしかない。

 照明に明るく浮かびあがった漁港に着くと、バウチャーはたった一人の相棒、アルビン・ボンドと合流した。ボンドは38歳で、もう長いこと漁船で働いているが、漁業許可証はもっていない。彼の父親は半ば隠居状態なのだが、近年できた規制で、父親の許可証を引き継ぐことはできないのだという。かといって、何万ドルも払ってほかの漁民から許可証を買いとる財力もない。このご時世では銀行も、漁業を始めようという人間には資金を貸したがらないのだと、ボンドは苦々しげに言った。

 二人を乗せた船は、まだ暗い入り江を抜けて外洋へ向かう。波が高くうねる。ボンドは両足で踏んばって体を支え、はえ縄の準備に取りかかった。ラ・ポアルの漁民たちは、昔からこのやりかたで漁をしてきた。数個の樽に、全長およそ3キロ分の太い縄が収めてあり、縄のあちこちに餌のニシンをつけた2000本の釣り針がぶら下がっている。はえ縄をタラのいる海底に沈めておき、数時間後に戻ってきて、かかったタラを引き上げるのだ。

 少し前まで、漁民たちは船の積載量ぎりぎりまではえ縄を積み、できる限りたくさんの釣り針をつけていたと、ボンドは言う。だが今では、乱獲を防ぐため、政府が釣り針の数を2000本以下に制限している。タラの漁期も厳しく規制され、出漁できるのは年にわずか数週間だ。少なくともラ・ポアル付近の漁場ではタラの数は回復しているのに、漁業管理官がありもしない危機をでっち上げているのだと、ボンドは確信している。「漁が禁止されてから、政府はたくさんの科学者を雇った。もし漁が復活したら多くの科学者たちが失業することを、連中はよく知っているんだ」

 よそ者を相手に、当局への不信感をここまであからさまに口にする人間は、ラ・ポアルでもめったにいない。とはいえ、私が話を聞いた現役の漁師たちは全員、この危機は誇張されていると考えていた。つまり、本当は政府が認めている数よりずっと多くのタラがいるというのだ。

 「どう見ても、タラの数が少ないとは思えないね」と言うピーター・フランシスは、政府の研究者のため年に数カ月間、報酬をもらって魚を捕まえる仕事をしている。とれた魚は重さと大きさを測り、一部の魚の内耳からは耳石を採取する。カルシウムなどでできた耳石には、木の年輪と同じように成長の過程が刻まれていて、専門家はそこから魚の年齢を推定することができる。

 フランシスは一般の漁民向けの漁業許可証ももっていて、タラの漁期になると、ほかの漁師たちと同じように漁に出る。そのほか年に3カ月は、数千キロ離れたカナダ西部の油田まで出稼ぎに行く。危険な仕事だが給料がいいため、油田へ働きに行く男たちは年々増え、今では村人たちの家計を支える最大の収入源となっている。

Back2/3 pagesNext


ナショナル ジオグラフィック バックナンバー