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特集

マグロをつくる
日本の漁業

APRIL 2007



串本にあるマグロ研究の総本山

 「白身の魚は、瞬発力のある短距離ランナーの筋肉。一方、マグロの赤身はマラソンランナーの筋肉のようなもので、巡航に向いている。そこにトロというエネルギー源まで蓄えています」。近大水産研究所助教授の澤田好史さんが、体長2~3センチの稚魚の標本を手に教えてくれた。ここは和歌山県串本町の海に浮かぶ紀伊大島の実験場。澤田さんはここで、クロマグロの骨や筋肉の発達過程を調べている。発達過程がわかれば、幼いマグロの弱点も見えるようになり、育成に役立つからだ。澤田さんは京都大学で学位をとり、いずれマグロの養殖に取り組みたいと、この研究所へやってきた。「ここでしかできない研究ですから」

 紀伊大島の実験場は、世界のクロマグロ養殖研究の総本山といえる。研究を始めたのは1970年。マグロ資源に対する危機感から、水産庁が中心になって養殖プロジェクトを実施、これに近大も参加した。しかし、マグロはとてもデリケートな魚で、扱いが難しい。卵のふ化までこぎつけられたのは近大だけで、ほかの研究機関は次々に養殖を断念していった。

 卵を無事にふ化させても、生後2カ月ほどの幼魚まで育てることが、また至難の業だった。せっかく生まれた何万、何十万という数の稚魚も、この間に全滅してしまう。何年か試行錯誤を繰り返すうち、ある年、親のマグロが産卵しなくなった。親マグロが産卵してくれないことには、稚魚飼育の研究はまったく進まない。それは翌年も、翌々年も続き、ついには11年連続で産卵しなかった。1980年代のことだ。

 それでも近大は粘り強く、親マグロの飼育を続けた。「マグロの養殖は、亡くなった前所長の念願だったので、なにがなんでも達成したかった」と近大水産研究所所長の熊井英水さんは語る。その執念が実を結び、1994年にようやく再び採卵に成功すると、成魚までの育成に成功。2002年にようやく、近大生まれの2代目が誕生し、完全養殖が実現した。

 「残る課題は大量生産」と熊井さんは言う。それには、産卵を安定させると同時に、生まれて幼魚になるまで生き延びる確率、つまり生残率を高める必要がある。完全養殖に成功したとはいえ、生き残ったのは産卵の当たり年に、さまざまな危機をくぐりぬけた一握りのエリート魚だけだ。安定供給は養殖業の必須条件。量産化して1匹当たりにかかるコストを下げなければ、養殖ビジネスにはつながらない。

 克服の兆しは見えつつある。その後の研究で、産卵の不安定さの大きな原因は、どうやら水温にあることがわかってきた。和歌山の海は黒潮の流路変動などの影響で水温が変化しやすい。近大は1998年に鹿児島県の奄美大島に実験場を設け、マグロの飼育を始めたところ、2003年から連続して産卵している。飼育方法に細かな改良を重ねることで、生残率も高まりつつある。「あとはなるべく多くの場所で種苗生産を手がけるようになれば、技術を確立できるはずです」と澤田さんは言う。

 その声に応えるように、近大だけが追求してきたクロマグロの完全養殖に、東海大のほかにも様々な研究機関や養殖業者が参入しつつある。その一大拠点になりそうなのが、近大の実験場のある奄美大島だ。

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