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シリーズ 地球の悲鳴
滅びゆくゾウの王国

MARCH 2007


2006年3月23日 この日、私は写真家のマイケル・ニコルズとともに、セスナ機でチャドの上空を飛んだ。ザクーマを訪れるのは1年ぶりのことだ。ところどころに水たまりのある、かれた川が見え始め、公園に入ったことがわかった。低い高度で旋回すると、ありとあらゆる木々の木陰に数百頭のゾウが集まっている様子が見える。ザクーマは1000頭を超すゾウが群れをなして移動する、地上で最後の場所だ。

 着陸の前に、私はニコルズに「リグエイク」を見せたかった。乾期に生き物たちが集まる公園最大の水場だ。東に向けて水場の上空を低い高度で通過すると、何千羽ものツルやペリカン、ツメバガン、コウノトリが翼を広げて飛び立った。600頭以上はいると思われるスイギュウの群れが、土埃を巻き上げながら南に駆けていく。数百頭のクロガオカモシカ、レイヨウ、キリンといった動物たちの群れが、波打つように眼下を走る。開けた場所には、半ば食われてしまった若いゾウの死骸も見えた。

 ベースキャンプに着陸すると、大勢の子供たちと一緒にルイス・アランスが迎えてくれた。スペイン人のアランスは欧州連合(EU)に雇われ、もう6年もザクーマで働いている。EUはこの17年間、年間100万ドル近い額をザクーマの保護プロジェクトに寄付し続けているのだ。ザクーマのベースキャンプはインフラが充実していて、無線や衛星通信のアンテナ、トラックなどが大量に備えられている。

 私たちはすぐさまゾウについて意見を交わした。アランスによれば、本格的な雨期の到来は6月になってからで、ゾウが移動のために集まるのはまだ先になるという。私たちはリグエイクの水場で目にした、死んだゾウについて尋ねた。数日前にライオンに襲われ、食われてしまったのだと、アランスは教えてくれた。

3月24日 私たちは本部の南に位置し、観光客向けキャンプとしても使われているティンガに拠点を置くことにした。私たちがここに来たのは、不毛の大地が緑の草原に変わる乾期から雨期への移行期にゾウの生態を観察するためだ。どうすればその目的を実現できるか、アランスたちと今後の計画について検討した。

 私の友人で、現在チャドの水資源・環境省で働くマラチー・ドルミアは、2000年に博士号を取るための研究で、何頭かのゾウにGPS(全地球測位システム)付きの首輪を装着した。その調査で、雨期になるとゾウたちは大きく二手に分かれて公園を出ることがわかった。

 一方の集団はザクーマから100キロほど北に向かい、もう一方の集団はほぼ同じ距離を南西に移動した。何がきっかけでこれほどの大群が形成され、いっせいにザクーマから移動するのか。さらに、公園の外にいる4~5カ月の間、どれだけのゾウが密猟者に狙われ、危険にさらされているのかが知りたかった。

4月4日 最初は空からザクーマを調査することにした。私がセスナ機を操縦し、公園内を生態学的に調査するフランス人生物学者のピエール・ポワレコが、助手席から観察してデータを記録する。

 夜明けとともに私たちは飛び立ち、いくつもの川が合流する広大な氾濫原の100メートルほど上空を、何度も往復して動物の数を数えた。前年の乾期にも私たちは同様の調査を行い、3885頭のゾウを見つけていた。

 今回の調査は順調だった。眼下のサバンナに五つのゾウの群れが見つかり、全部で175頭がいた。4時間後に着陸するまでに、スイギュウ2063頭、ゾウ952頭、シカカモシカ551頭、クロガオカモシカ301頭、キリン194頭、ミズレイヨウ74頭、ダチョウ45羽、ウマレイヨウ25頭の合計4205頭を確認した。

4月8日 調査では、ゾウを除くすべての動物が良好な数を保っていることが確認できた。

 午後遅く、最古参のレンジャーであるアバカール・アブデル・アリと話をした。彼の父親は、かつてこの地にあったザクーマ村の村長だった。ザクーマ村やほかの村の人たちはもともと、サラマト川の岸辺で漁をしたり、穀類を育てたりして暮らしていた。しかし、アリがまだ若かった1958年に、彼の父親は村の周辺を禁猟区にしたいというフランスの役人の提案を受け入れた。そして、その5年後にザクーマ国立公園は設立された。

 当初は夢物語ばかりが語られていた。野生生物が増え、観光客が押し寄せるだろう、と。ところがザクーマ村を含む八つの村の住人たちは、補償金や雇用の約束と引き換えに、保護区の外へ追い出されてしまう。アリは1969年から公園に勤め始め、翌年レンジャーになった。当時、公園のスイギュウは絶滅寸前で、ゾウの数も1000頭ほどにまで減っていた。それが今ではスイギュウは6500頭を数えるまでになり、ゾウも1989年に国際的に象牙の取引が禁止されてからは着実に増加し、2005年には3885頭にまで回復した。

 村を追われた人々は今、公園を支持しているのだろうか。アリは少し間をおいてからこう話してくれた。「野生生物の保護区として公園が重要であることなど、彼らにとってどうでもいい。ただ公園から暮らしの糧が得られなくなったことを残念がっているよ」

4月9日 最終的に確認できたゾウは、127の群れで合計3020頭だった。去年より900頭近く少ない。EUのアランスは当惑していた。大きな群れを見落としたのだろうか、それとも2005年の調査では同じ群れを2度数えたのだろうか。この頭数の減少が密猟の増加によるものだとはどうしても思えない。

4月10日 毎日が快晴で、焼けるように暑い。私たちはティンガ川とサラマト川の合流地点からやや上流にある大きな水場にキャンプを移動し、川にかかる橋の下手にテントを張った。翡翠のような緑色をしたこの池は、乾期の終わりには、動物たちの渇きを癒やす貴重な場所となる。1羽のトビが、岸辺に上がって水を飲む色鮮やかなコウヨウチョウという鳥を見つめたまま、翼を水に浸しては、尾を少しだけ傾けて旋回する。水面には数千匹ものナマズが口を突き出している。

 その時だ。岸辺にゾウが現れた。最初は子供たち、続いて大きな1頭の母親だ。ゾウたちはまず立ち止まり、聞き耳を立てる。それから母親が、1頭の子ゾウを前に押し出した。初めは抵抗していた子ゾウも、喉の渇きに耐えきれず、母親に押されるがままに岸を下りていった。それに続いてほかの30、40頭のゾウたちが、続々と険しい斜面を下っていく。水に入ると、池に鼻を伸ばし、たっぷりと冷たい水を吸いあげる。後から下りてきたゾウが、先に下りたゾウを川に押し出す。

 渇きが癒やされると、子供たちは水をかけあって遊び始めた。親ゾウたちは岸に上がり、背中の上に熱い砂を投げかける。

 アフリカ中部のサバンナで、このようなゾウたちの社会的な行動を見るのは、数年ぶりのことだった。やがてゾウたちは列をなして対岸に上がり、食料探しに出かけた。数分後には、ゾウたちは姿を消していた。

4月11日 アランスが受けた報告によれば、チャド軍の軍用車両80台が、公園から40キロ東のアム・ティマンに向けて南下しているという。反乱軍が首都ンジャメナに向けて北上するのを阻止するために、派遣されたのだ。

 チャド駐在の米国大使マーク・ウォールがたまたま公園を訪れていたので、反乱軍の情勢について尋ねると、反乱軍の狙いはイドリス・デビー大統領の政権を転覆することだそうだ。隣国のスーダン政府が資金を提供しているという噂もあるらしい。

 暗くなってニコルズと橋の上で落ち合い、話し込んでいると、闇の中から自動小銃を持った人影が四つ現れた。彼らは銃を肩にかけ、アラビア語で話しかけてきた。4人がチャド軍の正規兵だとわかって、私たちはホッとした。車両が故障し、ひどく喉が渇いているというので、彼らをキャンプに案内した。

 キャンプに着くと、生物学者のポワレコが興奮しながらまくしたてた。マクトゥール水場に近い道端の池に、密猟者が毒を入れたという。9頭のジャコウネコ、1頭の雌ライオン、2頭のハイエナ、5羽の猛禽類、数百羽のハトが、その水を飲んで死んだそうだ。ザクーマでライオンを研究するナタリー・バンヘルも気をもんでいた。彼女が観察している雌ライオンが汚染された池の近くに巣穴をつくっていて、その晩、子供に乳を与えに戻らなかったという。

 反乱軍の活動に不安を覚えながら、私たちは橋に戻った。反乱軍のことなど知る由もないゾウたちは、8時15分頃に姿を見せた。子供たちが前に押し出され、大人たちは岸に並んでもどかしげに水を飲む順番を待っていた。

4月12日 午前中にバンヘルから無線が入った。マクトゥールの巣穴の近くで、ライオンに殺された幼いゾウが見つかったという。私たちも午後になって死骸を見つけた。まだ牙の生えていない3歳の雌だ。片方の後肢の下部と首を食われ、腹部の皮膚も大きく剥ぎ取られていた。母親はおそらく密猟者に殺されたのだろう。バンヘルがM03-03と呼ぶ雄ライオンが、木陰に寝そべり、うたた寝をしている。

 ライオンは昼寝から目覚めると、悠然とゾウの死骸に近づき、腹部をなめ、首の方に回った。ゆっくりと、しかし確実に肉を切り裂き、引っぱったり、振り回したり、なめたりしながら、ゾウの喉奥まで牙を食い込ませる。ひとかたまりの肉をえぐり取ると、満足げにむしゃぶりつく。1時間後、M03-03は水場へ去っていった。

 ザクーマのライオンが幼いゾウを襲うのは珍しくないと、バンヘルは言う。80年代前半に中央アフリカ共和国では、馬に乗ったアラブ人による密猟が横行し、親を亡くした子ゾウの多くがマノボ・グンダ・サン・フローリス国立公園内でライオンの餌食となった。同じことが今、ザクーマでも起こりつつあるのだろうか。

4月13日 首都ンジャメナからニュースが届いた。数百人の反乱軍兵士が殺害されるか捕虜になり、残りは敗走したという。

 ハチクイという小鳥の繁殖地をチェックしようと南に向かっていると、南東方向の空を大型ヘリコプターが飛んでいた。ミサイルランチャーを装備したロシア製のMi-17だ。同型のヘリが前日、公園北部でチャド軍と米軍の混成部隊を誤射したという。ヘリは私たちのトラックにまっすぐ向かってくる。逃げることはできても、隠れることは不可能だ。しかし、ヘリは私たちの上空を通り過ぎてティンガ川に向かい、アランスが反乱軍に奪われないようにと隠しておいたトラックの上を旋回し始めた。

4月17日 1000人以上の反乱軍兵士がスーダンに逃げ込み、それを追ってフランス軍のミラージュ戦闘機2機が出撃した。ティンガ川に爆音が響きわたり、水場にいたゾウたちも驚いたようだ。私たちは、密猟者に傷つけられたと見られる1頭の雌のゾウの様子を確かめに来ていた。その雌は足をひどく引きずっていた。脚に弾丸を受けているらしい。

 その晩は、低い月が100頭のゾウを照らし、大きな不気味な影をティンガの水場に投げかけた。ザクーマは1年で最も乾いた時期を迎えている。この水場はゾウだらけで、まるで巡礼者が押し寄せた聖地のようだった。

4月18日 サラマト川の川床で、まだ新しいゾウの死骸を見つけた。サラマト川はこの時期、公園内で唯一、飲み水を得られる場所だ。数百羽のペリカンがくちばしの袋を水に浸して魚群を追いつめていく。鳥たちが羽音を立てて飛び去ると、ゾウの死骸がよく見えるようになった。雄だった。顔面が切り刻まれ、牙が消えている。私たちは3日間、死骸のそばに野営し、その雄の死を悼んだ。

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