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特集

豊かな原油に蝕まれる
ナイジェリア

FEBRUARY 2007

 

原油の発見が招いた悲劇

 これほどあからさまな非難の言葉を聞けば、政府も石油会社もたじろぐにちがいない。私はそう思って、石油会社の役員、リバーズ州知事、それにデルタ地帯の安全を受けもつ統合任務部隊の司令官にインタビューを申しこんだが、完全に無視された。

 多国籍石油会社ロイヤル・ダッチ・シェル社と、フランスの石油会社トタル社は、施設見学を許可してくれたものの、私が現地に到着してすぐ、ポートハーコート周辺で外国人従業員の誘拐事件が多発したため、結局、見学できなかった。暴力の渦に翻弄され、石油会社は沈黙するしかないのだろう。

 フィニマの村にある礼拝堂では男たちが席を立ちはじめ、一人、また一人と夕暮れのなかに消えていく。ハリーは礼拝堂を出る前に、信仰さえあれば、神が村を救ってくれると語った。祈りの集会の告知をあちこちで見かけるし、道沿いの教会でも礼拝が行われているから、ボニー島は信仰のあつい土地なのだろう。19世紀半ばにやって来た何人ものプロテスタントの宣教師がこの地にキリスト教を根づかせた。ある教会には、「祈りなさい。そうすれば、いつか事態は解決する」という言葉が掲げてあった。

 しかし、デルタの反対側にいる人々は、いずれ国際社会がこの地域の抱える問題に目を向け、解決に乗り出してくれることを期待している。でも、石油会社の株主たちが、なぜこれほど深刻な状況になったのか、責任は誰にあるのかと問いただしても、答えはデルタの水路のように複雑に入り組んでいて、あいまいだ。

 ナイジェリアで初めて油井が掘られた場所は、ポートハーコートから80キロ西にあるオロイビリという村だった。当時ナイジェリアはまだ英国の植民地で、1960年に独立したときも、ナイジェリアが将来、大産油国になると予測した人はほとんどいなかった。

 しかしそれから数十年のあいだに、5大多国籍石油企業――ロイヤル・ダッチ・シェル(英・蘭)、エクソンモービル(米)、シェブロン(米)、トタル(仏)、アジップ(伊)――が中心となって、人跡まれな湿地帯を、殺風景な石油プラントへと変貌させた。現在、パイプラインの総延長は7000キロ以上に達し、油田は159カ所、原油の集積所は275カ所に上る。油田の炎は昼夜を問わず数キロ先からも見える。

 ただ、赤道直下の湿地林に油井を建設することは、技術的にかなり難物である。高温・多湿、うっそうとしたマングローブ林、虫の大群、滝のような豪雨といった悪条件は、いまでもプラント操業の障害になっている。それでも、社会的・文化的な問題への対応に比べれば、こうした課題を克服するほうがよほど簡単だ。

 もともとこの地域では、最大勢力の部族イジョウをはじめ、イボ、イツェキリ、オゴニ、ウルホボなど20を超える部族が暮らしてきた。彼らは互いに反発し合い、デルタの自然の恵みをめぐって争っている。各部族に細かく分割された土地で操業している石油会社にとっては大きな難問だ。さらに、マングローブ林や湿地帯を貫く形でパイプラインや道路が敷設された結果、魚の産卵場所が破壊され、水の流れが変わって、漁業と農業に大きな影響を与えている。

 国連開発計画と、紛争解決を目的とする国際的非政府組織、国際危機グループ(ICG)が発表した最近の報告書は、石油会社の対応に問題があると指摘している。彼らは村長に掘削権料として金を渡す。環境に及ぼす影響をきちんと調査せずに、道路を建設し、運河を浚渫する。損害賠償や土地購入をめぐる訴訟を引き延ばす。治安部隊を派遣して、抗議活動を力で抑えこむ。石油が流出しても、除去もせず簡単な修理だけですませる。

 「掘削が始まって50年もたつのに、石油会社はいまだに地域との共存の道が見つけられない」と、英国ロンドン在住のリスクコンサルタント、アントニー・ゴールドマンは指摘する。デルタ地帯には石油会社や政府機関が着手したものの、失敗に終わったプロジェクトがごろごろしている。例えば、ポンプの動かない貯水タンク、医薬品のない診療所、教師が皆無で教科書もまともにない学校、魚のいない養魚池などだ。

 「石油会社は、村の住民にまったく相談していない」と、米国カリフォルニア大学バークレー校アフリカ研究科の主任を務めるマイケル・ワッツは憤慨する。「村長に金を渡すだけ。こんなやり方で、うまくいくはずがない」

 2006年の夏、原油価格は1バレル当たり78ドルまで上昇した。ナイジェリアのシェル社の石油施設が襲撃されたことも一因だ。価格高騰は、政情不安による生産量低下を帳消しにし、シェル社をはじめとする石油各社は、空前の利益をあげた。新しい油田も次々と開発されている。その多くは沖合にあり、陸上油田よりインフラ整備に膨大な費用がかかるものの、破壊活動や横流しの被害には遭いにくい。

 こうした深海油田には、新しい資本も集まってくる。とりわけ中国、インド、韓国など、エネルギー資源の不足している国々が、ナイジェリアの深海油田の利権を買いあさっている。

 「ナイジェリアでは、西側諸国のほとんどが中国とは勝負にならない」とゴールドマンは分析する。中国は、石油利権と引き換えに、鉄道路線の再建などの大規模インフラへの投資を政府に約束しているからだ。

 そしていま、ニジェール川支流のヌン川沿いで、かつてない大規模な開発が進められている。シェル社が取り組むグバラン総合石油ガスプロジェクトがそれで、新しい油田とガス田が15カ所、300キロ以上のパイプライン、さらに巨大な集ガス基地を設け、2008年に完成の予定だ。すでに森には、新しい道路が造られていて、黒いパイプが埋設されるのを待っている。

止まらない社会不安と自然破壊

 ヌン川の沿岸では、ナイジェリア軍兵士が土嚢を積みあげ、大口径の機関銃を道路に向けていた。プラント建設現場の入り口を警護しているのだ。広大な土地が切り開かれ、クレーンやブルドーザーがせわしなく行き交う。上空からこの土地を見ると、森という顔から皮膚をはいだ跡のように映ることだろう。

 このプロジェクトで、90に上る村が影響を受ける。人権擁護団体は、シェル社は過去の失敗から教訓を学び、地域と共生するべきだと主張する。マイケル・ワッツは、地元住民に彼らの権利をどう教えればよいか、NGOにアドバイスしている。「シェルはやり方を変えないと、ますます住民の離反を招いてしまう。『石油会社は、自分たちの土地から出る黒い水を横取りして、大金を稼いでいる。倫理的にも、社会的にも責任を取ってもらおうじゃないか』。人々はこう思い始めているからだ」

 オロイビリ村の人口は、この30年で1万人から1000人弱に減った。草ぶき屋根や、錆びたトタン屋根の粗末な家々が並ぶなかで、1軒だけ、きれいなレモンイエローに塗られた2階建ての家がある。その家で、イジョウ族の族長オソベレ・イネンジテは、さびれきった村の悲惨さを教えてくれた。

 「オロイビリは、アメリカで言えばテキサスのような土地ですよ。テキサスでは、この50年間ずっと電灯がともっている。でもこの村には、明かりも水も食べ物も、仕事もない」。そう言って、イネンジテはため息をついた。「石油なんてものがなければ、もっとましな暮らしだったのに」

 オイルマネーはどこに行くのか? ニジェール川デルタ地帯のあらゆる町や村の人々がこの疑問を抱いている。人々の非難の矛先は、石油会社だけでなく、ナイジェリア政府にも向かう。

 1971年に、石油産業が国有化されて以来、政府はエネルギー関連がもたらす歳入をすべて管理している。ナイジェリア国営石油会社は、石油会社と共同事業の形をとって、陸上石油事業の55~65%の権利を保有する。労せずして得られるこうした歳入は、当初は年間2億5000万ドルほどだったが、2005年には600億ドル以上に膨れ上がった。

 その間に、国家は軍事政権を脱して民政に移行したが(1999年の選挙で文民政府が発足)、国際危機グループが言う「腐敗の病巣」は温存されたままだ。グループの報告書には、「制度化された国富の略奪」という、ある先進国の外交官の厳しい言葉も引用されている。しかも、その金額は途方もなく大きい。2003年に政府の汚職対策機関が推計したところ、石油による歳入の実に70%、額にして140億ドルが盗まれるか、浪費されているという。

横領されるオイルマネー

 建前では、オイルマネーをある程度公平に分配するメカニズムは設けられている。ナイジェリア連邦政府がオイルマネーのおよそ半分を取り、残りをスライド式で36の州に毎月分配するというものだ。当然、主要産油地域であるリバーズ州、デルタ州、バイエルサ州、アクワ・イボン州の取り分が多い。私がデルタ地帯で取材していた1カ月間だけで、これら4州は6億5000万ドルを分けあったことになる。

 だが、これほどの富が各州の住民たちに行きわたっている様子はどこにもない。新聞記事や裁判記録を読むと、軍人や役人がオイルマネーを派手に流用していることがよくわかる。現在収監されているバイエルサ州の前知事は、横領した数億ドルの公金を外国銀行の口座に隠し、米国での不動産購入や、ロンドンの私立学校に通っている子弟の教育費にあてていた。ほとんどが1日100ナイラ(約90円)程度の生活費でしのいでいるデルタ地帯に暮らす3000万人の住民は、巨額のオイルマネーが自分たちを素通りするのを目の当たりにして、不満をくすぶらせている。

 社会改革グループのリーダー、アスメ・オスオカが冷凍魚を初めて見たのは、1970年代半ば、彼が5歳のときだった。デルタ地帯にあるオスオカの生まれ故郷、オエリアビ村(現在のアキニマ)へ、行商人が売りにやってきたのだ。「よその土地から魚が運ばれてきたこと自体、初めてだった」と、現在ポートハーコートに住むオスオカは回想する。「そもそも何で冷凍しなければならないのか想像もつかず、死体安置所で凍らせたという噂まで流れた」

 冷凍魚は、オスオカの村を飲みこむ激しい変化の前兆だった。「子どものころは、釣りざおや網を持って近くの川や沼地に行けば、家族みんなで食べられるだけの魚が獲れた。残りは売って、学資にしたよ」。だが、自然の恵みは、石油の出現とともに消え失せる。道路や運河の建設、パイプラインや油井からの原油流出によって、湿地は破壊され、汚染された。国連の報告書は、「デルタ地帯は、環境劣化の程度・速度ともに著しく、生態系の破壊に向かって進んでいる」と警告している。

 1996年、オスオカはオエリアビ村を破滅から救うために、「環境人権アクション」という団体の創設メンバーの一人となった。地元住民が天然資源を守り、法的権利について知識を増やすことが創設の目標だ。オスオカはこう語る。「環境破壊は静かに進行し、その影響は何年もたってから明らかになることが多い。いま私の村に、漁師と呼べる人間は一人もいない。食べ物はもっぱら冷凍魚だ」。市場に並ぶ魚のほとんどは輸入された冷凍魚で、1匹100ナイラ以上もするので、村人には買えない。

 米国ミズーリ大学の研究者で、ナイジェリア生まれのジミー・アデゴケによると、デルタ地帯の本格的な環境調査は、30年前に行なわれたきりだ。そのため、アデゴケ率いる研究チームは、現地調査と、衛星を利用した調査を実施した。その結果、1986年から2003年までのあいだに、2万ヘクタール以上のマングローブ林が海岸から消滅したことが判明した。主な原因は、石油と天然ガス採掘のための土地開発と、運河の浚渫だ。

 「マングローブ林の生態系の価値を考えると、この数字は深刻だ」とアデゴケは言う。沿岸に広がるマングローブ林は、魚類の生息数を支える鍵であり、「1ヘクタール失われるだけでも、打撃ははかりしれない。人々が自立する手段が奪われるからだ」

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