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海の森と生きる西表島の人々

FEBRUARY 2007

文・写真=横塚眞己人

界のほぼ北限に相当する日本のマングローブ林。その70%が集まる沖縄県西表島から、この貴重な林とともに生きる人々や生き物の姿を紹介する。

   日本には鹿児島県から沖縄県にかけて、およそ700ヘクタールにわたってマングローブが分布している。面積は世界全体の分布に比べてごくわずかだが、ほぼ北限にある貴重な群落である。

 日本のマングローブ林の約70%が集まっているのが、沖縄県・八重山諸島にある西表島だ。亜熱帯にあって山地が大半を占めるこの島には、多くの川が流れ、淡水と海水が行き来する潮間帯も広い。マングローブが生育する環境に恵まれた島といえる。大陸のマングローブ林に比べると、生き物の種類は少ないが、ここにはイリオモテヤマネコを食物連鎖の頂点とする独特の生態系が息づき、人々もまたマングローブにかかわりながら暮らしている。

 1976年に初めて西表島を訪れて以来、私はこの島とヤマネコに魅せられ、生き物や人々の暮らしを撮影してきた。神出鬼没のイリオモテヤマネコを写真にとらえるには大変な忍耐力と持久力が必要で、時にはマングローブの森にハンモックをつるし、そこで何時間もじっとしてヤマネコの出没を待つこともあった。

 マングローブの森は、風変わりな所だ。足下は水に浸っているのに、波の音も川のせせらぎも聞こえない。静かな水面には、タコの足のような支柱根をもつヤエヤマヒルギが立ち並び、時折、鳥の鳴き声が聞こえてくる。いわゆる「森の香り」はなく、泥のにおいと硫化水素の腐卵臭が混ざった独特の臭気が漂う。

 西表島には日本国内に分布するすべての種類のマングローブが生育していて(定義にもよるが5種~9種とされる)、潮間帯の塩分の濃度に応じてすみ分けている。海に近く塩分濃度が高い場所には、ヤエヤマヒルギやヒルギダマシ、マヤプシキなどが群生し、濃度の低くなる山側にはオヒルギが群生する。

 潮が引いた干潟では、ミナミコメツキガニの集団が、泥を食べては吐き出す。集団が去った後の地面には、吐き出された泥団子が大量に散乱している。このカニは、泥からデトライタスと呼ばれる栄養分をこしとって食べる。落ち葉や動物の死骸がバクテリアによって分解され、粒状になった有機物だ。マングローブ林では、このカニのような小動物を水辺の鳥たちが捕食し、さらにその鳥たちをねらってイリオモテヤマネコがやってくる。

 ハンモックから撮影の機会をうかがっていたある日のこと。シロハラクイナという鳥が水辺で小動物をついばんでいたところに、ヤマネコが現れた。じっとしているヤマネコは、岩にしか見えない。すきを見てはじわりじわりと距離を詰めていく。10分ほどたっただろうか、あと3メートルほどにまで迫ったところで、シロハラクイナはヤマネコに気づき、飛び去ってしまった。山の中に比べて見通しがよいマングローブ林は、ヤマネコが明るい時間に狩りをするのには向いていないのかもしれない。

 こうした動物たちだけでなく、西表島では人間もマングローブ林に寄り添って暮らしている。10年以上前になるが、私は西表島で借りていた家の庭にニワトリ小屋を作ろうと思いたち、知り合いの島民にどこかにいい廃材はないかと相談したことがある。しばらくすると彼は、オヒルギの丸太を数本肩に担いでもってきてくれた。「樹皮をはいで使えば、虫もつきにくいし腐らない」と言う。本州から移住してきた私のような人間は、マングローブを切るなんてと驚いてしまうが、昔からこうして利用してきた島の住人にすれば当たり前のことなのだろう。

 18世紀の琉球王朝時代の産物誌に、マングローブを意味する「漂木」という言葉が載っている。マングローブの和名に「ヒルギ」の名のつくものが多いのはこれに由来する。屋根材としてオヒルギを使ったり、農具を収納しておく小屋をマングローブで造ったり、沖縄の織物である紅型やミンサーなどにも古くから使われていたようだ。マングローブの樹皮からとれるタンニンは、魚網やロープなど漁具の強度を高める薬剤としてばかりでなく、下痢止めや止血剤などにも用いられたという。

 ただし、現在ではマングローブ林のほとんどが国立公園など保護区に指定され、無断の伐採や皮をはぐことが禁じられている。

 それでもこの島では、生活にマングローブ林が息づいている。漁師のなかには、マングローブ林で食用にする大きなカニ、ノコギリガザミを捕る人がいるし、台風が来たときの船の避難場所としても利用されている。マングローブが茂った川の支流は、海からの高波や強風から船を守ってくれる天然の避難場所なのだ。

 こうした昔ながらのマングローブの利用法に加え、現在、急速に増えているのがエコツーリズムやジャングルクルーズなど、観光資源としての活用だ。西表島を訪れる観光客の数は年々増加し、1990年の約12万人から2005年には約35万人に増えている。観光客の増加にともない、客船は大型になり、本数も増えた。この船がマングローブの近くを通る時に生じる引き波で根元の泥が掘られ、マングローブが傷ついたり倒れたりしてしまうといった様子も目にするようになった。マングローブ群落のすぐそばに大型リゾート施設を開発する計画もある。

 こうした状況からマングローブを保護するため、観光船の速度を自主規制するなどの対策も始まっている。観光産業と自然保護をいかに両立させるか、西表島では模索が続いている。

 ある調査によると、この10年ほどは西表島の象徴であるイリオモテヤマネコの生息数とマングローブ林の面積は減っていないという。しかし、生息する種が限られる島の生態系は、ちょっとしたきっかけで崩れかねない。

 最近、そんな予兆ではないかと思える変化を島の中で感じるようになった。80年代には島のあちこちで見られたキシノウエトカゲは今では注意して探さないと見つからなくなったし、夏前に大発生していたヌマガエルも激減した。平穏に思える西表島のマングローブにも脅威が迫りつつあるのかもしれない。


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