/2007年2月号

トップ > マガジン > 2007年2月号 > 特集:地球の悲鳴 マングローブを救え


定期購読

日経ナショナル ジオグラフィック 翻訳講座 秋期受講生募集中 詳しくはこちら

ナショジオクイズ

Q:チーターの違法取引が横行しているアフリカ東部のソマリランド。ソマリアからの分離独立を一方的に宣言しているこの共和国が位置する半島一帯は何とよばれているでしょう?

  • アフリカの角
  • アフリカの耳
  • アフリカの鼻

答えを見る

ナショジオとつながる



特集

シリーズ 地球の悲鳴
マングローブを救え

FEBRUARY 2007


ブラジルに広がるエビの養殖

 こうした状況は、熱帯地方ならどこでも変わらない。海沿いに暮らす貧しい人々にとって、マングローブ林は食料品店であり、燃料倉庫であり、薬局でもある。ところが、この森林は日々、破壊されている。特に大きな脅威となっているのが、エビの養殖だ。単純に考えると、エビは熱帯の貧しい国々にとって最適な輸出品に思える。豊かな先進国ではエビの需要が旺盛で、発展途上国には養殖に適した土地と気候があるからだ。

 しかし、養殖池に適した海沿いの土地には、マングローブが林立する。こうした場所では資本主義の論理が勝り、マングローブ林はたいていお金を生み出す養殖池へと姿を変えていく。さらに、多くの養殖業者は数回エビの収穫を終えると、病気の発生や収穫量の低下を避けるため、今まで使っていた養殖池を放棄して、別の場所で新しい池をつくる。そうしてマングローブ林の破壊が繰り返されていく。

 豊かなマングローブ林が広がるブラジルでも、徐々にその影響が出始めている。北東部の州にエビの養殖ブームが到来したのは2000~01年ごろ(早くにエビの養殖を手がけたタイやフィリピン、エクアドルなどでは、その数十年前からマングローブの伐採が始まっていた)。現在、ブラジルの港湾都市フォルタレザでは、サッカー場ほどの広さの養殖池が水田のように所狭しと並んでいる。まだマングローブの残る場所でも、養殖池のせいで付近の住民がその森に近づけなくなっていることが多い。

 エビの養殖池はコンクリートなどで底を固めていないので、海水が砂地の土壌にしみ込み、その下の帯水層まで汚染する。そのため付近の村人は、最近まで飲料に適した真水が出ていた井戸をやむなく放棄した。井戸の水の塩分が高くなり、飲めなくなったからだ。

 エビの養殖がもたらす深刻な影響に加え、マングローブ林は海水面の上昇というさらに重大な問題も抱えている。海水面が上昇すると、海岸線が浸食され、水際のマングローブ林は真っ先に被害を受けるだろう。

 そして、マングローブ林が失われた先には、おそらく破滅的な未来が待ち受けていることが、最近、明らかになってきた。マレーシアのペナンで海と海岸の研究を続けている元大学教授のジン・ヤン・オンは25年以上前から、マングローブ林が地球温暖化のような気候の変動に、どんな効果をもつのかを調べている。

 オンは同僚の研究者とともに、マングローブが生育していくうえで、どれほどの炭素を吸収し、排出するかという炭素収支を分析してきた。調査の結果、マングローブ林はきわめて効率的な炭素の貯蔵庫で、二酸化炭素を吸収することで大気中の温室効果ガスの総量を減少させていることがわかった。

 オンらの研究チームは、光合成や樹液の流れなど林冠部の葉で生じる様々な生命活動を計測し、葉が吸収する炭素量やマングローブ自体に蓄えられる量、そして付近の水路に排出される量を割り出した。この結果から、マングローブ林は自然のなかで最も炭素生産量の多い生態系であるらしいことがわかった(1ヘクタール当たり1日約110キログラム)。しかも、総生産量の最大3分の1は、有機化合物として干潟に排出されている可能性があることも判明した。どうやらマングローブ林は大気中の二酸化炭素から有機物を作って出荷する工場のような働きをしているようだ。それだけに、マングローブ林が破壊されると、海の生態系に欠かせない有機物が減少するかもしれない。

 さらにオンらの研究チームは、製造された有機物の相当部分が土壌に蓄積され、少なくとも数千年にわたり固定されることも明らかにした。マングローブ林をエビの養殖池にするのは、炭素の貯蔵庫を炭素の排出源に変えることを意味し、炭素は貯蔵庫に固定された場合の50倍のスピードで大気中に解き放たれるという。

 マングローブ林は炭素の貯蔵庫であるという認識が広がれば、マングローブ林の価値が一気に高まることも考えられると、オンは言う。温室効果ガスの排出権取引が定着し、二酸化炭素を吸収する森の多い国々が、先進国に排出権を売れるようになれば、マングローブの破壊が抑えられる可能性はある。

 ただし、このような理由でマングローブが保護されるには、ビジネスが成り立つだけの規模が必要だと、オンは指摘する。

 「たとえばインドネシアが、自国のマングローブの炭素貯蔵能力を『商品』として売れるようになれば、エビを養殖したり繊維を生産したりするためにマングローブの森を破壊するのを思いとどまるでしょう」

 そうなれば、マングローブ林がすでに破壊された国々でも、植林をすることで排出権を売れるようになり、海岸線も保護できるかもしれない。オンの調査拠点では、少年たちが細い葉巻のような形をしたマングローブの種(胎生種子)をポケットに詰め込んでいく。種を集めて売るためだ。2004年の大津波以降、アジア各国の政府が自然の防波堤として、マングローブの再植林に力を入れているため、胎生種子の需要が急増していると、オンは言う。

 アフリカの東海岸では、目的がまったく違う植林の試みが進められている。場所はエリトリアの港町マッサワから、海岸沿いに10キロほど南に下ったところにあるヒルギーゴ。二人の男性が灼熱の砂漠で板の上に座り込み、ナイフと石を使って空き缶の底を次々にくりぬいている。近くの紅海沿岸では、女性のグループが空洞になった缶をぬかるんだ土壌に埋め、干潟に長い列を作っていた。そして女性たちは、缶にマングローブの胎生種子を植えていく。

 この紅海の植林事業の発案者は、ガン治療薬の先駆者として知られる米国の細胞生物学者ゴードン・サトウだ。1980年代前半、米カリフォルニア大学サンディエゴ校のサトウの研究室は、直腸結腸ガンの画期的な治療薬を開発した。そして79歳になったサトウは今、貧困という別の病の治療に取り組んでいる。

 サトウが80年代半ばに初めて訪れた時のエリトリアは、戦争と飢餓に打ちひしがれていた。乾燥したこの国では水資源が極端に不足していたため、サトウは何らかの形で海水を利用する農業を広め、飢餓対策に役立てられないかと思いを巡らせた。その時ひらめいた型破りな解決策が、マングローブの活用だった。

 マングローブは、紅海沿岸にぽつりぽつりと自然繁殖しているし、海水でも成長する。それに、ラクダがマングローブの葉を食べることは以前から知られていた。ラクダが食べるのなら、ヒツジやヤギも食べるはずだ。こうしてサトウは、十分な量のマングローブを育てれば、多くの人々に食料を供給できるのではと考えた。

マングローブが貧困を救う

 それから6年、以前は1本の木も生えていなかったヒルギーゴの海岸に、今では70万本のマングローブが生長している。サトウはこの事業を「マンザナール・プロジェクト」と名づけた。マンザナールは第2次世界大戦中、10万人以上の日系アメリカ人が送り込まれたカリフォルニア州の砂漠の収容所の名称だ。サトウも10代のころ、家族とともにこの収容所に送られた。そこで年長の収容者たちが、乾燥した土壌で苦労しながら作物を育てていたのを見た記憶が、何十年も後のアイデアにつながったのだ。

 現在、サトウのマンザナール・プロジェクトで植えられたマングローブの多くは、人の背の高さを超えるまでになった。胎生種子の黄緑色の外皮が割れて開き、ふっくらとした緑の葉が顔をのぞかせている。マングローブの根元には、フジツボやカキが付着し始め、カニが地面を歩き回る。木を植えるだけで、一つの生態系が機能し始めるのだ。人間は自然のために器を用意してやればいい。あとは自然自身がそこを「わが家」にして活動を開始する。

 この自然の「家」は、近くの海にも影響を及ぼしている。長い岩の防波堤の端では、イブラヒム・モハンメドが脱いだシャツを頭に巻きつけ、網の様子を見るために海に入っていった。胸まで水につかった状態で海の中を歩き、魚のかかった網を引き上げる。型のいいカマスとアジが1匹ずつ捕れた。イブラヒムは岩の上で魚をさばくと、まるで儀式か何かのように水で何度も洗う。

 植林が始まってしばらくすると、ヒルギーゴではボラのような小さな魚が捕れるようになった。「マングローブがなければ、ボラは捕れない」とイブラヒムは言う。マングローブ林にすみ着いた小型の魚は、それをエサにするもっと大きな魚を呼び寄せる。イブラヒムの網にかかったような大型魚は、マッサワの市場で高く売れる。

 村はずれにある家畜小屋では、ヒツジの群れがマングローブの胎生種子をリンゴのようにバリバリと食べていた。サトウはこの群れを実験台にして、マンザナール・プロジェクトの畜産事業をさらに改良していく計画だ。

 近くにあるほこりまみれの民家は、トタン板や布切れ、木の廃材といった間に合わせの建材で作ったみすぼらしいあばら屋ばかりだ。サトウは、すべての家に家畜小屋ができる日を夢見ている。「この国では、ほんの数頭のヤギがきっかけとなって豊かな暮らしを手に入れられることがある。私はすべての人々にチャンスを手にしてもらいたいのです」。マングローブが経済的繁栄を生み出すことにつながるとは、誰も想像しなかったにちがいない。

 マングローブ林を育てることで、貧困問題の流れを変える――マンザナール収容所で作物を育てた人々もきっと誇りに思うはずだ。

Back2/2 pages


ナショナル ジオグラフィック バックナンバー