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特集

ブルガリアに眠る
トラキアの黄金

DECEMBER 2006

文=A・R・ウィリアムズ 写真=ケネス・ギャレット

代ギリシャ時代のバルカン半島に、独自の文化を花開かせたトラキア人。その栄華を物語る黄金の品々がブルガリア各地から見つかっている。

   盗掘者にとって、ブルガリアは黄金郷だ。この国には少なくとも紀元前4000年までさかのぼれる墓所があり、黄金をはじめ、大量の副葬品が埋まっている。この地域は古くからアジアと西ヨーロッパを結ぶ要衝だった。そのためトラキア人、マケドニア人、ギリシャ人、ローマ人、ペルシャ人、スラブ人、ブルガリア人、トルコ人などが、侵略者、兵士、旅人、商人、移住者として盛んに往来した。

 なかでも盗掘者が見つけやすいのが、紀元前5~3世紀に作られたトラキア人の王族の墓だ。道端や畑の中に、3、4階建ての建物ほどの高さをした墳丘が残っている。

 キトフが発掘作業をしているのは、スレドナ・ゴラ山脈とバルカン山脈に挟まれた全長94キロのカザンラクとよばれる谷だ。この谷には香油用のバラ畑の間に、1000個もの墳丘が点在している。ブルガリア全土で見ると、墳丘の数は2万5000を超える。

 ブルガリアでは、遺跡から掘り出された品々の所有権は国家に帰属する。この原則は、かつては絶対だった。1949年、パナギュリシュテという町の近郊で、タイル用の粘土を採取していた3人の兄弟が、美しい装飾が施された黄金の容器を9個見つけた。2000年以上も前に作られた品だ。当時のブルガリアは、ソ連の衛星国になってまだ数年しかたっておらず、法に背く者には厳罰で臨んでいたから、兄弟は当然この出土品をそのまま当局に手渡した。この容器は現在も博物館に保管されている。

 しかし、そうした状況が現在も変わらないかというと、残念ながらそんなことはないようだ。1989年、旧ソ連の崩壊が始まると同時に、ブルガリアの体制も変化を余儀なくされた。国民総雇用の受け皿となっていた工場の多くが閉鎖され、いまだに再開されていない。失業者がちまたにあふれ、職にありついた人も月平均2万4000円ほどしか稼げない。かつての中流階級の生活は苦しくなる一方で、生きていくために盗掘に走る人が後を絶たないのが現状だ。ブルガリアでは、遺跡の盗掘は「闇市場の考古学」と呼ばれている。

 「出土品ビジネスは、麻薬の密輸よりいい稼ぎになるんです」と解説するのは、そのカリスマ性から“ブルガリアのインディ・ジョーンズ”と呼ばれる考古学者のニコライ・オブチャロフだ。麻薬より儲かるというのは大げさだが、けっこうな金になるのは確かだし、政府関係者もその例外ではないことは周知の事実である。

本誌には、より詳しい情報が掲載されています。ぜひ本誌もお読みください。


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