ナショナル ジオグラフィック日本版 年間購読申込





$B%J%7%g%J%k(B $B%8%*%0%i%U%#%C%/F|K\HG(B

LINE

特集
取材現場から
PHOTO

米国の国立公園の危機: 政治に揺れる聖域
記事の筆者と写真家が、取材現場から報告する「最高の経験」、「最悪の体験」、そして「最も風変わりな思い出」。


フォトギャラリー

グレン・キャニオン
国立保養地域>>

Line
ヨセミテ国立公園>>
Line
セコイア/キングス・キャニオン国立公園>>
Line
ヨセミテ渓谷>>
Line
ザイオン国立公園>>
Line
ビック・サイプレス国立保護区>>
Line
エバーグレーズ国立公園>>
Line
ビスケーン国立公園>>
Line
キャニオン・デ・シェイ国定公園>>
Line
グレート・スモーキー・
マウンテンズ国立公園>>

Line
ドライ・トゥートガス国立公園>> Line
エバーグレーズ国立公園>>
Line
イエローストーン国立公園
(よどんだ池)>>

Line
イエローストーン国立公園
(池の手入れ)>>

Line
ゲティスバーグ国立軍事公園>>
Line
グレート・スモーキー・
マウンテンズ国立公園>>

Line
ゲートウェイ国立保養地域>>
Line
イエローストーン国立公園
(バイソン)>>

Line
イエローストーン国立公園
(エルク)>>

Line
グランド・ティートン国立公園>>
Line
セコイア/キングス・キャニオン国立公園>>
Line
エバーグレーズ国立公園>>
Line
チャコ文化国立歴史公園>>
Line



map
拡大図へ >>



年間購読のご案内

PHOTO

文=リン・ウォーレン ジョン・G・ミッチェル 写真=マイケル・メルフォード

LINE

 90年前に国立公園制度を生み出した米国でも現在、公園の役割が見直されている。政治に翻弄されてきた“聖域”の歴史と問題点に迫る。

LINE

 国立公園は、米国が思いついた最高のアイデアだ――。1912年、英国の歴史家で、駐米大使を務めたジェームズ・ブライスはこんな賛辞を送った。国立公園といってもまだ数カ所しかなく、管理に当たる連邦政府の機関さえなかった時代のことだ。ブライスの賛辞から90年以上が経ち、政府や民間の機関が次々と消えてしまう変動期の昨今にあっても、国立公園そのものは当時と変わらず、米国が世界に誇れる素晴らしいアイデアであり続けていることは称賛に値するだろう。

 国立公園局と、その管理下にある公園システムが誕生したのは1916年のことだ。発足当初は国立公園が14カ所、国立記念物区域が21カ所、それに自然保護区が1カ所だけで、総面積は250万ヘクタール足らずだった。しかし90年後の現在では、連邦政府があるワシントンD.C.をはじめ、太平洋やカリブ海の島々まで388カ所が指定され、面積も約3400万ヘクタールへと拡大した。国立公園局の常勤職員は2万人を数え、年間の来訪者も1916年当時の35万人から3億人近くにまで増加している。

 私自身が初めて国立公園を訪れてから、半世紀以上が経つ。ときに行楽客として、ときに批判的な観察者として何度となく国立公園を訪ねてきた私の五感には、ヨセミテやアカディア、オリンピックといった公園の風景や音、それに匂いの記憶が刻み込まれている。

 また、不思議なもので、最初に訪れたときにはまだ国立公園に指定されていなかった場所の記憶も鮮明に残っている。例えば、カリフォルニア州東部の山岳地帯にあるミネラル・キング渓谷で迎えた朝の思い出だ。寝袋で一夜を明かした私からほんの20メートル右手で、ミュールジカの群れが朝もやに包まれて草を食んでいた。大企業のウォルト・ディズニーはここにスキーリゾートを建設しようとしたが、渓谷がセコイア国立公園の一部に編入されたため、計画は実現しなかった。

 また、ニューヨーク市にある19世紀の要塞、バッテリー・ウィードの変化も心に残っている。私の自宅近くの崖からは、ニューヨーク湾のナローズ海峡を望むこの要塞がよく見える。傷みが激しく、骨組みだけになった要塞は、いずれ崩壊するだろうと心を痛めていたが、うれしいことにこの予想は外れた。バッテリー・ウィードは国立公園局の管理下に入り、きれいに修復されて、今ではゲートウェイ国立保養地域の人気スポットになっている。

 だが、数々の素晴らしい思い出を与えてくれた国立公園が今、大きな試練に直面している。もちろん国立公園は以前から、予算不足や大挙して押し寄せる利用者への対応が追いつかないといった問題に悩まされてきた。国立公園局の予算はいつの時代も十分にあったとはいえず、財源不足は慢性的な問題だったが、5年前にジョージ・W・ブッシュ政権が発足すると、事態はさらに深刻化した。内務省と国立公園局の内部に確執が生じ、それに伴う混乱は2006年5月、内務長官がゲール・ノートンからダーク・ケンプソーンに代わり、国立公園局長のフラン・マネラが辞任を発表するまで続いた。

 こうした内部の不協和音で、現場に働く職員の士気は低下し、国立公園というシステムを90年ものあいだ機能させてきた法規制の枠組みすら崩壊しかねない状況にあった。この5年間、私は折りに触れて国立公園システムの動向を探り、各地域本部の責任者や公園管理事務所の所長、現場で活動するレンジャー、広報担当者などに話を聞いた。インタビューした職員のなかには、言いたいことをがまんしながら仕事を続けるよりはと、その後退職した人もいる。

 最近になって、「国立公園局退職者連合」という団体も誕生した。国立公園のあり方を元職員の立場から考え、提言していくのが創設の目的だ。500人以上の会員のなかには、国立公園局長および副局長の経験者が5人、地域本部の責任者および副責任者を経験した者が26人、さらに公園管理事務所の所長や副所長の経験者が130人も含まれていて、その多くが2001年以降に退職を申し出た人たちだ。「優秀な職員が次々と辞めていきます。公園局はこの先どうなってしまうのか、心配でなりません」と、ヨセミテ国立公園のレンジャーは話してくれた。  しかし、国立公園を訪れる人たちは、こうした緊迫した内部事情に気が付かない。職員の士気は低下し、施設の老朽化が進み、自然や文化を解説する活動が大幅に減らされている現在でも、来訪者たちは素晴らしい体験をすることができるのだ。

 忍耐力と双眼鏡さえあれば、イエローストーン国立公園ではバイソンに加え、最近はオオカミも見ることができるだろう。ヨセミテ渓谷にあるブライダルベール滝は、これから先も訪れる多くの人を魅了するに違いない。だがこうした広大な国立公園には、ほかにもさまざまな価値があるはずだ。例えば、手つかずの生態系や広大な荒野、孤独感、静寂といった、かけがえのないものが今、失われようとしているのではないだろうか。

 米国の「最高のアイデア」は、そもそもどこから生まれたのだろう。その提唱者が、19世紀に活躍した画家ジョージ・キャトリンであることはまちがいないようだ。大平原地帯に生きる先住民を描くスケッチ旅行から戻った彼は1832年、米国政府が西部の広大な土地を確保して、「そこにいる人や動物を保護し、野生の荒々しさや自然の美しさをそのまま残す、国民の公園」にしてはどうかと提唱した。

 国民の公園の設置に、政府が試験的ながら最初に動き出したのは、キャトリンの提唱から32年後のこと。1864年、連邦政府は自らが所有するヨセミテ渓谷と周辺にあるセコイアの森をカリフォルニア州に譲渡し、一般の人たちが利用できる公園にした。その8年後、連邦議会はイエローストーンを最初の国立公園に指定し、1890年にはヨセミテも連邦の管理下に移され、国立公園となった。

 その後、連邦議会の決定を受けて、公園や記念物などが国立公園として指定されていき、1906年には「古物保存法」の制定によって、大統領は議会の同意がなくても連邦政府の土地を国立記念物区域に指定できるようになった。1916年までに内務省が管理する国立公園および国立記念物区域は35カ所に達していたが、同年8月、ウッドロー・ウィルソン大統領が一つの法案に署名をしたことで、国立公園は大きく前進した。この「国立公園局設置法」の成立で、内務省に国立公園局が創設され、管理下にある地域だけでなく、将来的に指定される公園の管理と保護を担うようになったのだ。

 このように、国立公園システムは西部に広がる雄大な景観と深く結びついて出発したが、1960年代に大きな転換期を迎える。リンドン・ジョンソン大統領のもと、スチュアート・ユーダル内務長官とジョージ・ハーツォーグ国立公園局長は新機軸を打ち出そうとしたが、それには法律の見直しが不可欠だった。国立公園に指定する場合、それ以前は国有地を使って安上がりに済ませるか、ロックフェラー一族をはじめとする慈善家からの膨大な資金を頼みの綱としていた。

 しかし1960年代半ばに「土地及び水の保全基金に関する法律」が施行されると、領海外大陸棚での原油や天然ガスの採掘権リース料を財源とすることが可能になり、国立公園局は国立湖岸区域や国立原生景観河川、国立景観歩道など公園の種類を次々と増やしていった。さらにこの時代、都市部周辺に国立保養地域が指定された。これは、都市生活者と自然の距離をもっと縮めたいという、ジョンソン大統領の夢を実現する新しいタイプの公園だった。

 二ューヨークやサンフランシスコといった大都市近郊に国立保養地域が数多く指定されるようになると、地方に残る雄大な自然が保護されなくなるのではと心配する声も上がった。しかし、1970年代後半にジミー・カーター大統領がそんな不安を一掃する。

 カーター大統領は、アラスカ州にある1618万7425ヘクタールもの広大な国有地を国立公園局の管理下に移すという力わざをやってのけたのだ。1906年の古物保存法を適用して土地の開発利用をいったん凍結したうえで、九つの新しい国立公園と国立保護区を指定した。さらに1980年には「アラスカ国有地保全法」を成立させ、デナリなど既存の国立公園の範囲も大幅に拡張した。こうして、カーター大統領の時代に国立公園システムの面積は2倍以上に広がった。

 1993年に国立公園を取材したとき、国立公園局の職員たちは、工場や自動車による大気汚染、外来生物の侵入、それに人間のさまざまな活動が原因で、公園が危機に直面していることを心配していた。しかし彼らは、もっと大きな不満をもっていた。それは、国立公園局には、もはや米国の自然や文化を守る力がなくなってしまったという不満だった。レンジャーたちは、増え続ける来訪者の世話や交通整理に忙殺されていたからだ。

 こうした多様な問題が、国立公園局と公園システムを苦しめている。「保護」か「利用」かという、これまでに何度となく繰り返されてきた議論がいまだに続いているのだ。
 90年前に制定された「国立公園局設置法」は、国立公園と国立記念物区域の目的をはっきりと次のように定めている。「景観、自然および歴史的な対象物と、そこに存在する野生生物を保護し、それらを享受できるようにすること、また同様の手段を通じて、それらを損なうことなく、未来の世代が享受できるようにすること」。これは、国立公園局の中核となる使命だが、年月が経過するとともに、公園資源の保護と来訪者の楽しみのどちらを優先すべきかという点で、意見の相違が表面化してきた。

 内務長官によって任命された国立公園システム諮問委員会が5年前、『21世紀の国立公園を再考する』と題する報告書をまとめた。それによると、国立公園局は設立当初、来訪者が楽しい時間を過ごすことができれば、国立公園への支持が高まると考えていたという。しかし来訪者の楽しみを優先する管理方法が、公園の資源に良くない結果をもたらすこともある。  そこで諮問委員会の報告書は、次のように結論づけた。「今後は『楽しみを通じて支持を得る』という図式を見直し、より高いレベルでの理解を求め、公園資源保護への支援を求める必要がある。国立公園局は来訪者へのサービスに力を入れるあまり、未来の世代のために守るべき公園資源にそれほど注意を払ってこなかった」

 この報告書を、国立公園局の職員たちはおおむね好意的に受けとめたが、ブッシュ大統領が任命した長官や局長は違った。

 国立公園局長のフラン・マネラは最初のうちこそ支持する姿勢を見せていたが、やがて報告書の内容を重視していないことを露呈する。またほどなくして、ノートン長官が率いる内務省も諮問委員会の結論に反対する姿勢をほのめかすようになった。公園資源の保護が娯楽よりあまりにも重視されるようになり、ビル・クリントン前政権は国立公園から楽しさを奪ったというのが彼らの主張だ。こうして、対立する価値観が真正面からぶつかることになったのである。

 2005年夏、国立公園局の基本方針を内務省がひそかに改定しようとしていることがマスコミに漏れ、同省はその内容を公表せざるを得なくなった。195ページに及ぶ改定案には、公園の管理方針を根底から変えてしまう内容が盛り込まれていた。この文書を作成したのは、当時内務省の魚類・野生生物・公園担当の副次官補を務めていたポール・ホフマンである。

 ホフマンは以前、ワイオミング州コーディ市商工会議所の事務局長だった人物で、80年代には、現政権の副大統領、ディック・チェイニーの補佐官を務めていたこともある。  文書のなかでホフマンは、大胆な方針転換を打ち出した。例えば、公園内の自動車用道路を冬季はスノーモービルに開放することや、一部の国立海岸区域と国立湖岸区域でモーターボートの利用を個人に許可すること、また、グレート・スモーキー・マウンテンズ国立公園やグレーシャー国立公園を遊覧飛行できるようにすることなどだ。

 だがそうした改革は、90年間積み重ねてきた法律や判例を踏みにじるものだと危機感を抱いている公園管理者も少なくない。デスバレー国立公園の管理事務所長であるJ・T・レイノルズは、ロサンゼルス・タイムズ紙の取材に対して、「国民の貴重な遺産が危機に直面していることを、ぜひ理解してほしい」と話した。

 長年にわたってシェナンドア国立公園の管理事務所長を務め、現在は国立公園局退職者連合の会長であるビル・ウェードも、ホフマンの文書を厳しく非難する。この方針転換は、国立公園を「強奪しようとする恐るべき企て」であり、「どんなことでもまかり通るような場所にしてしまう」という。

 また、ホフマンの文書は言うまでもなく、国立公園における科学教育の大切さにほとんど言及していない。海洋学者で、ナショナル ジオグラフィック協会付きの研究者でもあるシルビア・アールは、ハーバード大学の生物学者エドワード・O・ウィルソンらとともに、「専門的で確かな科学的知識にもとづいた自然管理活動を、今後も続行する」ことを求める報告書を国立公園局に提出した。この報告書には、「国立公園システムにおける環境資源の保護を目的とした、有意義な活動基盤の形成が、科学的な知識を深めるためには極めて重要」と記されている。報告書は国立公園システム諮問委員会の承認を受けた後、フラン・マネラ局長に提出された。だがそれきり印刷も配布もされることはなく、提出されてから7カ月間は国立公園局のホームページにも掲載されなかった。

 国立公園局内部では、ホフマン文書が公表されると反対意見が続出し、マスコミも激しく騒ぎたてた。そして昨年秋、マネラ局長はホフマン文書の修正版を発表して、広く国民に意見を求めた。修正版では、新方針を見直したものの、保護よりも利用を優先させる姿勢に変化はなかった。国立公園システムを監督する連邦議会の上下院各委員会が公聴会を開くと、改悪された方針をいくら書き直したところで何の価値もないし、正当化されるわけでもないという批判が相次いだ。

 国立公園局退職者連合のビル・ウェード会長は、新たに発表された修正版はホフマン報告書が与えた悪い印象を和らげようとする試みに過ぎないと断言し、「芯が腐ったリンゴをいくら磨いても時間の無駄」と切りすてた。一方、国立公園に関する上院小委員会ではウィリアム・ホーンなる人物が、ビル・クリントン前政権は利用を重視する従来の方針を「あまりに敵視していた」と批判し、来訪者を「公園から締め出してはならない」と主張した。ホーンは自分の肩書きについて、レーガン政権時代に内務省の魚類・野生生物・公園担当副次官を務めていたとだけ述べたが、実は、スノーモービル製造会社で組織する業界団体のお抱え弁護士でもある。

 ホーンの主張に反論したのは、国立公園局の副局長として3人の大統領に仕えたデニス・ガルビンだ。現在は、政府と一体となって国立公園政策を推進する「国立公園保全協会」という民間団体の理事を務めている。ガルビンは、毎年多くの人が国立公園を訪れ、そこで素晴らしい体験をしたという声が圧倒的である以上、誰も公園から締め出されているとは思っていないだろう、と証言した。「国立公園が、あらゆる種類の娯楽を提供する必要はない」とガルビンは主張する。「国立公園にそぐわない娯楽は、連邦、州、地域、そして民間の事業者が提供してくれているはずだ」と付け加えた。

 それから数カ月後、国立公園局のスティーブン・マーチン副局長は下院資源委員会の公聴会に召喚され、一連の騒動について弁明を求められた。マーチンは国立公園局の根本的な使命を曲げるつもりは毛頭ないと前置きしたうえで、新方針案は「利用か保護かという事態に直面した場合、公園資源の保護が優先されることを示すものである」と明言した。この主張を裏づけるように、6月に発表された新たな案では、批判の的だった点はほぼすべて、従来の方針に戻されていた。

 現大統領のジョージ・ブッシュは2000年の大統領選挙で、一つの公約を掲げた。老朽化が激しい国立公園のインフラを整備するために、棚上げになっている49億ドルの経費を拠出するというものだ。しかし、2001年9月11日に起きた同時多発テロのあおりなどを受けて、その公約は今も実行されずにいる。

 そしてブッシュ政権は今年、2007年度予算の概算要求で、国立公園局の予算を5%、金額にして1億ドル削減することを提案している。政府の提案が通れば、建設や大規模な補修のために必要な資金が削られることになるはずだ。ニューヨーク・タイムズ紙は、この意図的な予算削減が「国立公園における商業活動を正当化する言い訳になりかねない」と社説で批判した。

 内務省とマネラ国立公園局長が数年前、国立公園内の業務の一部を民間業者に委託する検討を始めると、国立公園が利潤を追求することになるのではと懸念の声が上がった。ただこのときは、委託対象となる業務はごく限られていた。

 ところが昨年になって、委託業務の範囲をさらに広げる方向で検討されていることが明らかになった。ボストン国立歴史公園、インディアナ・デューンズ国立湖岸区域、プエルトリコにあるサンフアン国立史跡区域の3カ所で行われるすべての活動について、入札で一番安い業者を選ぶようにとのメモをマネラ局長が出したのだ。マネラは後になってこのメモを撤回したが、国立公園にとりついた商業主義という名の亡霊が、そう簡単に退散することはなさそうだ。

 2005年秋には、企業から寄付を募って、その見返りとしてブランド名を公園内の主な施設に掲げる提案を国立公園局長室が示した。これも世論の猛反発にあって撤回され、代わって、一部の公園支援組織も評価する新しいガイドラインを打ち出した。

 国立公園局で寄付と資金調達の陣頭指揮をとるジョン・ピルツェッカーは、「国立公園システムは慈善活動を伝統としてきました」と私に語った。「友の会」と呼ばれるボランティア団体や支援組織、それに国立公園財団が1年間に7500万ドル以上を国立公園システムに提供しているのだ。こうした団体は、寄付をするからといって有名になることもないし、それを売り物にすることもないと、ピルツェッカーは私に請け合った。

 過去5年間は制度面で迷走が続いた国立公園局だが、この先10年の見通しは少しばかり明るい。大統領選挙が2回あって、特に最初の選挙では民主党と共和党のどちらが勝利しても、ブッシュ政権に代わる新しい政権が誕生することになるからだ。

 全米各地の国立公園には、苦難の時代を生き抜いた優秀な人材もまだ残っている。カリフォルニア州オークランドにある、国立公園局太平洋西部地域本部の責任者ジョン・ジャービスは、未来の世代に公園を残すことを定めた国立公園局設置法に希望を託す。「法律は法律です。廃止されないかぎり、これ以上効果的なものはありません」とジャービスは話す。

 では、「未来の世代」とは、いったい誰のことを指すのだろうか。米国では現在、人種や民族の比率が大きく変化している。メキシコやキューバなど中南米から移住してきたヒスパニック系や、アジア系の米国人が増えていて、これまで多数派だったヨーロッパ系米国人が少数派となっている地域もある。

 サンフランシスコにあるゴールデンゲート国立保養地域で、解説活動の主任を務めているハワード・レビットは、レンジャーの役割も変わると言う。「これまでは、公園の来訪者に話しかけるのが私たちの仕事でした。しかしこれからは、まだ公園に来たことがない人といかに交流するかが課題です」

 私は13年前に、レビットの上司で、公園の管理事務所長を務めるブライアン・オニールにインタビューしたことがある。そのとき彼は、多様化する国民の一人ひとりに「感情的にも理性的にも、国立公園システムと強いつながりをもってもらう」ことが今後の重要な課題だと、話していた。

 最近、再びオニールと会う機会があった。そこで13年前の課題について聞くと、「あの当時よりますます重要になっています」とオニールは言った。


詳しくは本誌をお読みください。

該当号インデックスへ
該当号の購入は  買い物カゴに入れる

もっと知りたいなら…

今回の特集に関してもっと知りたい方に、参考となる情報を提供します。





特集関連の豆知識

 ヨセミテの山や渓谷は、国立公園に指定されている一方で、デビルズタワーの山々は国定公園。この差は何なのだろう。どれだけ広いか、いかに壮大であるかという問題ではない。(この6月、ブッシュ大統領が面積およそ36万平方キロにも及ぶ北西ハワイ諸島とその周辺海域を国定公園に制定した。この面積は、ヨセミテの面積の約100倍にあたる。)国立公園と国定公園の違いは、どちらかというと政治的な要素に起因している。米国では、国立公園を制定するののは議会で、国定公園を設置できるのは大統領だ。

 こうした差は、100年ほど前の1906年に制定された古物保存法により「旧跡、有史及び先史の建造物、その他歴史または国家の益となるもの」を国定公園として指定する権限が大統領に与えられたことから生じた。もともと、議員たちは南西部のアメリカ先住民の遺跡を破壊行為から守るために古物保存法を作ったのだが、条文のあいまいな表現のおかげで、大統領は滞りがちな議会での討論を迂回し、独自の権限で保護地区を制定することができるようになった。

 この権限を最初に行使したのはセオドア・ローズベルト大統領で、1906年にデビルズタワー国定公園を制定した。20世紀には、歴代の大統領が公園を作る足がかりとして、この制度を活用した。グランドキャニオン、グランドティートン、そしてオリンピックはどれも、議会により国立公園として承認される前に、まずは国定公園の指定を受けていた。

――サラ・クリフ
BOOK






関連リンク

国立公園局退職者連合:500人を超える国立公園局の退職者を代表するグループが、国立公園制度誕生の目的や重要性を軽んじるような動きに対し、懸念を表明する場として立ち上げたサイト。
http://www.npsretirees.org/

米国立公園局:同局が管理している400近い地域について、詳細情報を提供している。検索も可能。
http://www.nps.gov/

国立公園の天然資源:野生生物を保護し、外来種を管理し、水資源を確保するために、国立公園局が行っている活動を紹介しているサイト。豊富な情報に加え、教材として使えるよう用意されたページもある。
http://www.nature.nps.gov/

国立公園保全協会:80年以上にわたり、「未来の世代のために、米国の国立公園制度を保護・強化する」ために活動を続けてきた団体のサイト。
http://www.npca.org/





日本版の過去記事

2006年8月号「スモーキー・マウンテンズ国立公園」

2006年2月号「素顔のグランド・キャニオン」

2005年1月号「米国の大自然ヨセミテの魅力を探して」

2004年10月号「赤熱の地 ハワイ火山国立公園」

2003年11月号「イエローストーン国立公園」

2003年3月号「ランゲル-セント・エライアス国立公園」

2001年8月号「アメリカの国有地の自然を守る」


トップへ戻る






本サイトに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。
すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
(c)National Geographic Society. All rights reserved.
(c)Nikkei National Geographic Inc. All rights reserved.

サイトマップ 著作権/リンク許可
広告出稿のご案内 会社案内
「特定商取引に関する法律」に基づく表示
個人情報保護方針 ネットにおける情報収集
個人情報の共同利用について