ナショナル ジオグラフィック日本版 年間購読申込





$B%J%7%g%J%k(B $B%8%*%0%i%U%#%C%/F|K\HG(B

LINE

特集
取材現場から
PHOTO

ロビンソン・クルーソーの家を発見
記事の筆者と写真家が、取材現場から報告する「最高の経験」、「最悪の体験」、そして「最も風変わりな思い出」。


PHOTO

文・写真=高橋大輔

LINE

該当号インデックスへ






「スペインからの入植者たちが建てたものじゃないか?」
 遺跡を見た考古学者たちは、口々にそう言い始めた。まさかそんなはずは…。そこがロビンソン・クルーソーの実在モデルとなった人物が暮らした跡と信じ込んでいた私は、青ざめた。
 冒険小説の世界的名作『ロビンソン・クルーソー漂流記』。その実在のモデルとされる英国スコットランドの船乗り、アレクサンダー・セルカーク(1676-1721)は、今から300年前、南米チリ沖に浮かぶ無人島で4年4カ月(1704-09)にわたる孤独な生活を送った。
 現在はロビンソン・クルーソー島と呼ばれるようになったこの島の、どこで、どのようにして暮らしたのか? 私は94年以降、4度にわたって島を訪れ、セルカークの足跡を追ってきた。そして2001年、森の中の旧道のそばに、ついに彼が暮らしたと考えられる石積みの住居を見つけたのだった。
 その住居跡の石壁は、一人でも簡単に抱えられるほどの石を積み上げたものだったし、スコットランドの古い石造建築にも似ていたので、私はそれがセルカークの住居跡に間違いないと考えていた。私は大きな期待と自信を抱いていた。
 2005年1月、私は再び島に足を踏み入れた。今回は米ナショナル ジオグラフィック協会の支援を受け、チリや英国スコットランドの考古学者らとともに、住居跡を発掘することを目指した。
 しかし、発掘を始めた途端、その期待は打ち砕かれる。考古学者たちは、周囲に散らばっている陶片を見逃さなかった。その陶片は、18世紀半ばにスペイン人によって建てられた町の城砦付近に転がっているものと似ていることが判明。そして石積みの住居は、スペイン人の火薬庫だったことが分かった。

遺跡の下層に期待
 「日本で支えてくれる人たちや、今回支援してくれたナショジオの人たちになんて言おうか…」。落ち込む私を、メンバーの一人であるスコットランド国立博物館のデイビッド・コールドウェル博士が励ましてくれた。
 「セルカークがこの島にやってきたのは、スペイン人が火薬庫を建てるよりも数十年は前。だから、建物の下にまだ何か隠れているかもしれない。人は、誰かが住んでいた場所に建物を建てるものだから」。私は気持ちを切り替え、遺跡の下層の発掘に望みをつないだ。
 発掘を始めて26日目、およそ1.8メートルの深さまで掘ったところで、石を敷き詰めた床が現れた。スペイン人が建てたのはおそらくここまでだ。
 果たしてこの下に何か隠れているのか。どんな小さな出土物も見逃すまいと、10センチごとに掘り出した土をすべてふるいにかけ、注意深く発掘を進めた。
 そして3日後、生活の痕跡が見つかった。焚き火跡と動物の骨。ここで誰かが調理をし、食事をしていたらしい。さらに焚き火跡を囲むように柱の穴が二つ、三つと見つかった。
 セルカークを救出した海賊船団の船長ウッズ・ロジャーズの記録によれば、セルカークは「ピメント(香辛料の一種)の木を使って小屋を建て、外側を長い草で覆い、またその中はヤギの毛皮を内張りしていた」とある。目前に現れた円錐形のテントのような形の遺跡はその記述にピタリと当てはまっている。
 そんなことを考えていると、ふるいがけをしていたコールドウェル博士が私を呼んだ。急いで歩み寄ると、彼は青緑の金属片に目を凝らしていた。長さ2センチの銅製の針先で切断面は3ミリの正方形、力が加わったためによじれて、折れてしまったようだ。

見つかった住居の証拠
 しばらくはそれが何かわからなかったが3日後、コールドウェル博士はそれが航海用のディバイダー(割りコンパス)であることに気がついた。彼が所属する博物館には、セルカークとほぼ同時代の沈没船から引き揚げられたディバイダーが所蔵されている。彼はそれを詳しく調査したことがあり、形や材質から出土した針先がディバイダーであることに間違いはないと言うのだ。
 ロジャーズの記録によると、セルカークの所持品は「衣類、寝具、マスケット銃、火薬と弾丸、タバコ、手斧、ナイフ、ヤカン、聖書、航海用具、その他実用品や本」という。航海長だったセルカークにとってディバイダーは標準装備品であり、しかも歴史上その島に上陸した者のうち航海用具を持っていたと記録されているのはセルカークだけだ。つまりここで暮らしたのはセルカーク。私はついに“ロビンソン・クルーソーの住居”を発見したのだ。
 その後、焚き火跡で見つかった炭の年代測定や分析から、それが18世紀奄゜のものと確認でき、セルカークのいた年代と一致した。
 見つかった住居跡からは、新たな事実も浮かび上がった。
 セルカークは上陸してくる当時の敵、スペイン人から逃れるために山の中に身を潜めた。一方で救いの船を探すために、湾が見渡せるこの場を選んだ。さらに、彼は島からすぐに救出されると信じていた。だからこそ、住居は簡素なままだったのだ。
 28年間の無人島生活を送った小説の中のロビンソン・クルーソーと異なり、セルカークの4年4カ月は、救出を信じ続ける日々だった。一人の人間の生き抜くための戦略と救出への強い願いを、この住居跡は物語っているように思えた。
BOOK






関連リンク

探検家高橋大輔のブログ
http://blog.excite.co.jp/dt

2005年9月15日発表のニュース・リリース
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/topics/n20050914_1.shtml





日本版の過去記事

2004年8月号「読者フォーラム・クルーソーの孤島生活を追って」


トップへ戻る






本サイトに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。
すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
(c)National Geographic Society. All rights reserved.
(c)Nikkei National Geographic Inc. All rights reserved.

サイトマップ 著作権/リンク許可
広告出稿のご案内 会社案内
「特定商取引に関する法律」に基づく表示
個人情報保護方針 ネットにおける情報収集
個人情報の共同利用について