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特集
取材現場から
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難破船「リパブリック」の金貨
記事の筆者と写真家が、取材現場から報告する「最高の経験」、「最悪の体験」、そして「最も風変わりな思い出」。



本誌に載らなかったオンラインだけの写真。撮影条件も紹介します。


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文=プリート・J・ベシリンド 写真=ジョナサン・ブレア

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南北戦争直後の1865年に米国ジョージア州沖で沈没した蒸気船「リパブリック」が約140年ぶりに発見された。船内からは大量の金貨や銀貨が見つかった。

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 払い下げられて軍艦から民間の蒸気船に生まれ変わったリパブリックは、ボイラーをたいて左右の外輪を回転させながらニューヨークから南部のニューオーリンズに向かう。59人の客を乗せ、500樽の貨物と40万ドル相当の硬貨(その多くは金貨)を積んでいたという。

詳しくは本誌をお読みください。

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今回の特集に関してもっと知りたい方に、参考となる情報を提供します。





特集関連の豆知識

 沈没直前まで蒸気船「リパブリック」を離れなかった者の中に、ルイス・カジアークというボストン出身の21歳の陸軍中尉がいた。カジアークは荒れ狂う海で漂流物の間を泳ぎ、人々を助けた。事故に遭う前の3年間、彼は志願して連邦軍(北軍)に加わり、ジョージ・アンドリューズ将軍とエドワード・R・S・キャンビー将軍の副官としてポートハドソンやバトンルージュ、モビールの戦いに参加した。
 リパブリックが沈んだとき、カジアーク中尉はボストンとニューヨークでの休暇から戻る途中だった。「中尉は精力的に、乗客たちの救助に努めた」とニューヨーク・タイムズ紙は伝えている。最後に救命艇に救助されたカジアークは、キャンビー将軍の副官に復帰し、南部再建の時代にルイジアナと南北カロライナの米連邦への再統合に尽力した。
 軍隊ではもっぱら総務畑を歩いたが、軍人らしく華々しく活躍した時期もある。キャンビー将軍に従って西海岸へ赴任し、1873年にキャンビーが北カリフォルニアでモードック族に殺されるまで同地で軍務に就いた。後の米西戦争時には少佐としてキューバに渡り、1901年には憲兵司令官およびハバナの秘密警察長官となった。1906年に准将として退官し、引退後は一時ヨーロッパで過ごしたが、いつでも任務に応じられるよう、自分の居場所を時々軍に連絡していたという。1935年、おそらくリパブリック最後のこの生存者は、91歳で亡くなった。

――デビッド・W・ウッデル

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関連リンク

オデッセイ・マリン・エクスプロレーション:蒸気船リパブリック号を発見した会社
http://www.shipwreck.net/

ニューマズマティック・ギャランティ・コーポレーション:リパブリック号で見つかったコインについて
http://www.ngccoin.com/

アメリカ海軍歴史センター:テネシー(後にモビール、さらにリパブリックに改名)の歴史について
http://www.history.navy.mil/photos/sh-civil/civsh-t/tenn53.htm

ルイジアナ州博物館:博物館の前学芸員、キンバリー・ハンガー博士によるルイジアナ史
http://lsm.crt.state.la.us/site/publica.htm

フリードメンツ・ビューロー・オンライン:南北戦争後に州政府が行った奴隷および難民解放政策について
http://freedmensbureau.com/louisiana/index.htm





日本版の過去記事

2002年3月号「古代ギリシャ黄金期の沈没船」

2001年7月号「カリブ海の財宝船」

2001年7月号付録地図「世界の海に沈んだ財宝」


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