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特集
取材現場から
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ライト兄弟初飛行100周年
記事の筆者と写真家が、取材現場から報告する「最高の経験」、「最悪の体験」、そして「最も風変わりな思い出」。



本誌に載らなかったオンラインだけの写真。撮影条件も紹介します。


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3-Dで見る歴史の名機

以下の航空機を3-Dでご覧になるには、マウスで航空機の画像をクリックし、水平方向に移動して回転させてください。



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文=マイケル・クレシウス 写真=ジョー・マクナリー

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ライト兄弟が1903年12月17日に「ライトフライヤー」を飛ばしてから100年。この1世紀の間に飛行機は軍用、民間用を問わず驚くべき進歩を遂げた。

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 飛行機は1950年代に高速化し、80年代にはレーダーをすり抜けるステルス技術を身につけた。そして今、飛行機は“賢く”なりつつある。軍用機では、コンピューター制御によって、パイロットのいらないUAV(無人飛行機)が開発されている。
詳しくは本誌をお読みください。


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もっと知りたいなら…

今回の特集に関してもっと知りたい方に、参考となる情報を提供します。





特集関連の豆知識

 この12月17日、世界中の人々が“人類初飛行100周年”を祝う。ただし、“初飛行”は正確とはいえない。人類はすでに18世紀末以来、気球で空を飛んできたし、1903年以前にも、何度も飛行機を設計している。ライト兄弟は単に史上初の飛行機を製作したとか、史上初の飛行に成功したといっているわけではない。米国ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館に展示されている、オービル・ライト寄贈の1903年のライトフライヤー号の銘板には、「ライト兄弟の飛行機(実物):空気の浮力を使わない、世界初の動力駆動飛行機。この飛行機により人類は自在に空を飛べるようになった」と記されている。
 「飛行」をどう定義するかはともあれ、世界で初めて空を飛ぶ飛行機を発明した功績はオービルとウィルバー・ライト兄弟のものとされている。ライト兄弟が有名なため、私たちは人類初飛行の栄光をあと一歩で逃した冒険家が他にも数多くいたことを忘れがちだ。しかも、そのライト兄弟も、確実に成功する自信があったわけではない。彼ら自身、自分たちが生きている間に熱気球以外の方式で有人動力飛行を実現するのは無理ではないかと考えていた時期があった。
 19世紀末、抜きん出た名声と資金調達力をもつ飛行実験家が現れた――サミュエル・ピアポント・ラングレー。スミソニアン協会の第3代理事長となったラングレーは、有人動力飛行にこそ成功しなかったが、航空学の偉大な実験家としていまも知られている。
 当時の状況を考えると、ラングレーのなし得なかった偉業をライト兄弟が達成したことはほとんど奇跡のようだ。1896年、ラングレーは1馬力の蒸気機関を搭載した全長4メートルのプロペラ機で90秒間、1キロメートルの無人飛行に成功。ワシントンの有力者たちの注目を浴びた。そのなかには、ナショナル ジオグラフィック協会2代目会長のアレクサンダー・グラハム・ベルや、当時海軍次官のセオドア・ルーズベルトもいた。
 1898年、アメリカ・スペイン(米西)戦争が勃発すると、海軍はラングレーに5万ドルの資金を提供し、軍事目的の飛行実験を支援した。さらにスミソニアン協会とアレクサンダー・グラハム・ベルも彼を援助した。1903年10月7日、ラングレーは有人飛行機グレート・エアロドローム号をポトマック川のハウスボート上から発進させた。しかし、その構造は自重に耐え切れず、ボートを離れたとたん、飛行機は川に墜落した。実験は大失敗だった。操縦士のチャールズ・マンリーは機体から泳いで脱出した。
 1903年12月8日、ラングレーは再びポトマック川のハウスボートの屋根からグレート・エアロドローム号を発進させた。発進の衝撃で構造的に弱い機体は再び自重に押しつぶされ、凍てつくポトマック川に沈んだ。マンリーは危うく死にかけた。
 その9日後の12月17日、オービルとウィルバーのライト兄弟は、ノースカロライナ州キティホークの砂浜で、ライトフライヤー号の有人飛行を4回成功させ、歴史にその名を刻んだ。公的な資金援助は、スミソニアン協会副理事リチャード・ラスバンから受けた支援だけだった。
 1899年、ラスバンはウィルバー・ライトから1通の手紙を受け取った。手紙の内容は、「飛行機械」の製作に必要な資料を請うものだった。ラスバンは資材と資料をかき集め、その情報をもとにライト兄弟は難航していた飛行機の開発に活路を開いた。こうして、スミソニアン協会は、ライト兄弟による航空機の開発に大きく貢献することになった。
 しかし、1906年にラングレーが亡くなると、兄弟は特許をめぐる紛争に巻き込まれる。ラングレーは飛行に成功しなかったが、グレート・エアロドローム号は復元され、大幅な変更を加えられた上で、ついに空を舞った。スミソニアン協会の1915年の年次報告書にはこう記されている。「これまでの実験によって、ラングレーが有人飛行のできる飛行機の製作に世界で初めて成功したことが証明された」
 飛行機の発明者としての功績を無視されたオービル・ライトは、1928年、ライトフライヤー号の実物を英国のロンドン科学博物館に寄贈し、そこに永久に展示することにした。1942年にスミソニアン協会が前言を撤回すると、ようやくオービルは遺言を書き換え、ライトフライヤー号をスミソニアン博物館に寄贈し「米国の首都ワシントンでのみ」展示するよう指示した。1948年、キティホークでの歴史的飛行から45年間を経て、人類初の飛行機ライトフライヤー号はついにスミソニアン博物館の芸術産業館北ホールを飾った。

――エリザベス・スノッドグラス

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関連リンク

米国ライト兄弟初飛行百周年委員会:航空機の歴史やライト兄弟の足跡、飛行百周年を祝うイベント、各種のゲームのほか、過去の写真や動画、米国各州の航空機博物館、教育者向けの情報などを紹介。
http://www.centennialofflight.gov/index.cfm

NASAドライデン飛行研究所:同サイト上の“飛行研究のマイルストーン(Flight Research Milestones)”では、NASAの最初の研究所ドライデンで研究されてきた最先端の航空機の歴史を紹介。
http://www.dfrc.nasa.gov/Dryden/mistone.html

初学者のための航空力学:ジェットエンジンの仕組みは? 航空機は大気中でどんな力を受けるのか? ウェブ上のテキストで航空力学の基礎を学ぶ。ジェットエンジンの動きを動画で解説。
http://www.grc.nasa.gov/WWW/K-12/airplane/bga.html

空軍技術:防衛産業に関するサイト。軍用機を紹介。攻撃用ヘリコプター、長距離爆撃機、支援用ヘリコプター、訓練機、地上攻撃専用機、海軍ヘリコプター、監視・偵察機、輸送機、給油機など。
http://www.airforce-technology.com/projects/

米科学者連盟 情報リソースプログラム:無人航空機(UAV)に関する情報を網羅したサイト。政府の報告書や論文などをはじめとした広範にわたるリンクあり。
http://www.fas.org/irp/program/collect/uav.htm





日本版の過去記事

1998年1月号「大平洋に消えた女性飛行士」


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