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特集
取材現場から
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血と汗の歴史がしみ込んだ「ビルマロード」
記事の筆者と写真家が、取材現場から報告する「最高の経験」、「最悪の体験」、そして「最も風変わりな思い出」。



本誌に載らなかったオンラインだけの写真。撮影条件も紹介します。


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文=ドノバン・ウェブスター 写真=マリア・ステンゼル

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第二次世界大戦中、連合国軍が開いた全長約1800キロの物資補給路「ビルマロード」。

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 第二次世界大戦のさなか、連合国軍はビルマ(現在のミャンマー)を経由してインドと中国を結ぶ物資補給路「ビルマロード」を造った。険しい山岳地帯を越え、マラリア蚊の多い密林を抜け、多くの犠牲を払って完成させたこの道は今、金やチーク材、アヘンなどの輸送に使われ、ミャンマーの経済を支えている。

詳しくは本誌をお読みください。

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もっと知りたいなら…

今回の特集に関してもっと知りたい方に、参考となる情報を提供します。





特集関連の豆知識

 モンスーンが吹き荒れるビルマ奥地でのビルマロード建設は、驚くべき偉業だった。しかし第二次世界大戦中には、この陸路が開通する以前から、インドと中国を結ぶもう一つの物資補給路があった。それが、やがて“ハンプ”と呼ばれることになる、ヒマラヤ山脈を越える空路だった。この“ハンプ”を飛び続けた連合国軍の軍用機のパイロットはめざましい偉業を達成した。
 1942年の春から45年8月の終戦まで、連合軍のパイロットたちは乱気流や日本軍の対空砲火、悪天候、機体の故障に耐え、ろくに眠らずに、山岳地を越え、物資の補給を続けた。インド北東部にある13の基地から、昼夜を問わず輸送機が飛び立つ。目的地は約800キロ離れた中国国内の6カ所の飛行場。このルートを1日3往復するパイロットもいた。
 このヒマラヤ越えの輸送機の元パイロットでジャーナリストのオーサー・C・スペンサーは、著書『フライング・ザ・ハンプ――航空戦回顧録』で、パイロットたちの危険な仕事を語っている。「地上約4800メートルで強い寒冷前線に遭遇した。突然、機体ががたがたと震え始めた。プロペラに氷がこびりついたのだ。私は乗員に脱出の準備を指示し、自分は機内に残って氷を取り除こうと考えた。しかし、乗員は全員、機内に残る方を選んだ。輸送機は渓谷へ向かって下降した。突然、エンジンが分解したような音がした。暖かい空気の塊に突入し、プロペラが大きな氷の塊を振払ったのだ。昆明(クンミン)に着陸すると、機体は左右のプロペラもろとも大破した。積み荷は爆薬だった。こうした危険な飛行を毎日のように続けた」
 ヒマラヤ越えの空路を経て中国に輸送された補給品は合計で約65万トンにのぼるが、その途上で600機以上の輸送機と1000人の命が犠牲になった。

――ロビン・A・パーマー

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関連リンク

ビルマ、1942年:米陸軍軍事史センター作成のウエブサイト。1941年12月~1942年5月のビルマの状況を紹介。
http://www.army.mil/cmh-pg/brochures/burma42/burma42.htm

メリルの略奪者:「メリルの略奪者」は、第二次世界大戦中、フランク・メリル将軍の指揮下、ビルマ戦線で戦った米軍部隊のあだ名。当時の作戦内容や写真を紹介。
http://www.marauder.org/





日本版の過去記事

1995年7月号「成長から取り残された豊かな国 ミャンマー」


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