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取材ノート
シェルパ民族

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筆者の取材ノートから
T・R・リード

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写真家の取材ノートから
ロブ・ケンドリック

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「取材現場から」は、筆者と写真家へのインタビューを編集したものです。
本誌の記事と一部が違うことがあります。

写真=Ang Kami Sherpa (上), and Khalid Al-Marzouqi

取材現場から 取材現場から PHOTO
シェルパ民族

写真家の取材ノート
ロブ・ケンドリック
Best 最高の経験

 初めてネパールを取材した1991年とくらべ、シェルパの暮らしは様変わりしていた。当時は外で用を足していたが、現在では屋内にトイレが備わっている。また当時は山の村には電気がなかったが、今では多くの村に電気が通っている。バッテリーの充電が必要な写真家にはありがたかった。
 シェルパの人々は自分たちの文化をきちんと守り、観光で潤っている。ロッジやレストラン、トレッキング用品の店、登山者への料理の出前サービスもある。地元のヘリコプター会社では、シェルパのパイロットがトレッキング客をハイキングルートまで運んでいる。


Worst 最悪の体験

 シェルパの人々は暮らしが大きく変化して、過去から受け継いだ文化を失いつつあるようだ。経済的に豊かになり、子供を首都カトマンズの寄宿学校へやるのが"ブーム"になっている。そのせいで年に数週間しか子供に会えないという母親もいるし、祖父母たちも孫と接する機会はほとんどない。こうした子供たちは休暇になっても学校に残り、文化的、宗教的儀式に参加しないこともある。
 海外からの観光客が増えると、商売上手な人々は文化を観光の目玉にして儲けていくが、民族の伝統はいずれ形ばかりのものになっていくだろう。現地の人々からすれば、年間2万人も殺到する観光客を金儲けの手段にするのは当然のことだ。


Quirkiest 最も奇妙な思い出

 1960年代半ばにネパールのルクラ空港ができると、シェルパの村々では観光産業がさかんになった。海外からの観光客数は91年当時が1万7000人、2001年には2万6000人に増加。そのため地元の人々は裕福になり、事業を多角化し始めている。通信衛星サービスやインターネットサービスが整備され、ホテルは部屋だけでなくレストランや通信衛星サービス、インターネットサービスも提供し、旅行者は以前より多くの金を落とすようになった。携帯電話を持っているシェルパもいて、故郷に電話するアメリカ人相手に1分4ドルで貸している。









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