ナショナル ジオグラフィック日本版 年間購読申込





$B%J%7%g%J%k(B $B%8%*%0%i%U%#%C%/F|K\HG(B

LINE

特集
取材現場から
PHOTO

カブール
記事の筆者と写真家が、取材現場から報告する「最高の経験」、「最悪の体験」、そして「最も風変わりな思い出」。



本誌に載らなかったオンラインだけの写真。撮影条件も紹介します。


PHOTO
ズームインへ >>

PHOTO
ズームインへ >>

PHOTO
ズームインへ >>

PHOTO
ズームインへ >>

PHOTO
ズームインへ >>



map
拡大図へ >>

PHOTO

文=エドワード・ジラディ 写真=スティーブ・マッカリー

LINE

活気を取り戻すアフガニスタンの首都カブール。

LINE

アフガニスタンの首都カブール。戦火に見舞われたこの町は、見渡す限りの瓦礫の山に埋もれている。倒壊した建物、地中に残る不発弾。テロリストの活動もまだ止まず、戦火を逃れた多くの難民たちが再びこの町へ戻り始め、混乱が生じている。それでも首都カブールは息を吹き返しつつある。市場は商人や難民、元兵士や農民でごった返し、喫茶店からはにぎやかな音楽が聞こえてくる。このカブールの今を、「アフガニスタンの少女」を撮影した写真家スティーブ・マッカリーと、米国人ジャーナリストが報告する。

詳しくは本誌をお読みください。

該当号インデックスへ

もっと知りたいなら…

今回の特集に関してもっと知りたい方に、参考となる情報を提供します。





特集関連の豆知識

 数十年にわたるアフガニスタンでの戦闘は、1979年12月24日のソ連軍の侵攻から始まったとされるが、実際はその約1年半前までさかのぼる。
 78年4月、マルクス主義を信奉するアフガニスタンの陸軍将校の一派が、72年の政変で大統領に就いたモハメド・ダウドの政府を倒した。このクーデターから数日で、同国共産党はアフガニスタン民主共和国の樹立を宣言、まもなく社会・経済システムをソ連式に改革し始めた。しかし、その多くはアフガニスタンのイスラム教徒の伝統に反するものだったため、すぐに反体制派が台頭。政府は彼らを、逮捕したり処刑したりしたが、78年9月、アフガニスタン東部で暴動が起こり、この国は長い戦闘状態に入る。この冬から翌79年の夏までに、暴動は国内各地へ広がり、陸軍内部の対立を生みだす。政府はソ連からの武器援助への依存を強め、統治力を回復させようとする一方、ソ連による政治的支配からは一定の距離を保とうとした。しかし79年秋、拡大するアフガニスタンの混乱を不安視したソ連が、国境沿いに軍隊を集結させる。12月中旬には、アミーン議長がカブール郊外の宮殿に避難し、分遣隊に護衛されるほど、アフガニスタン情勢は悪化していた。そして12月24日、アフガニスタンへソ連軍が侵攻する。

――パトリシア・ケロッグ

BOOK






関連リンク

米国のアフガニスタン大使館のホームページ
www.afghanistanembassy.org

国連の難民高等弁務官事務所「UNHCR: The UN Refugee Agency--Return to Afghanistan」
www.unhcr.ch/cgi-bin/texis/vtx/afghan?page=home

アフガニスタン関連のリンク集
www.icarp.org/afghan.html#gen_info

アフガニスタンやイスラム世界に焦点を当てた教育素材
www.aems.uiuc.edu/HTML/AfghanistanLinks.htm





日本版の過去記事

2002年6月号「空爆前後のアフガニスタンを見る」

2002年4月号「『アフガン難民の少女』、ついに発見」

2001年12月号「アフガニスタン 絶えない戦火と難民」


トップへ戻る






本サイトに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。
すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
(c)National Geographic Society. All rights reserved.
(c)Nikkei National Geographic Inc. All rights reserved.

サイトマップ 著作権/リンク許可
広告出稿のご案内 会社案内
「特定商取引に関する法律」に基づく表示
個人情報保護方針 ネットにおける情報収集
個人情報の共同利用について