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特集
取材現場から
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インカのミイラ
記事の筆者と写真家が、取材現場から報告する「最高の経験」、「最悪の体験」、そして「最も風変わりな思い出」。



本誌に載らなかったオンラインだけの写真。撮影条件も紹介します。


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文=ギエルモ・A・コック 写真=アイラ・ブロック

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考古学者たちは今、ペルーで最大規模のミイラ遺跡を、開発から守ろうと発掘作業を進めている。武器や陶器、上品な織物も見つかった。

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 ペルーの首都リマ郊外のトゥパク・アマル地区。貧しい人々が暮らすこの地区で、インカ帝国時代のものとしては最大級の墓地と、数多くのミイラが発見された。
 現場は、「プルチューコ」の名で考古学者らに知られていた遺跡。スペインがインカ帝国を征服する以前の「後期ホライズン」(1438-1532)と呼ばれる時代に造られた墓地だ。宅地の開発が進められていたため、調査隊は遺跡発掘を急ぎ、この3年間で15カ所を調査した。その中の一つ、学校の校庭に埋もれていた墓地だけで、120体以上のミイラを発掘した。

詳しくは本誌をお読みください。


もっと知りたいなら…

今回の特集に関してもっと知りたい方に、参考となる情報を提供します。





特集関連の豆知識

ミイラはのろう?

 リマ郊外のインカ遺跡「プルチューコ」でのミイラの発掘作業は、地元の反発を招いた。古代の人々の霊魂をかき乱すと、地元の人たちは考えたのだ。現場のトゥパク・アマル地区では、1200家族が貧しい生活を余儀なくされていて、一部の住民は一人の児童の死亡事件など、最近町に起こった不幸な出来事を、死体を掘り起こす考古学者のせいだと非難。今回の遺跡発掘を指導した考古学者ギエルモ・A・コックは、村の子供の死は結核が原因だと説明したが、地元の人々は納得しない。
 死者のたたりなど信じないコック自身も、ミイラの発掘を手がけるようになった後、数カ月間激しい咳に見舞われたことがあった。写真家のアイラ・ブロックも、今回のミイラ発掘の取材を終えてニューヨークに戻った後に細菌性の咳を患った。これはやはり呪いなのだろうか。
 1923年のエジプトでのツタンカーメン王の墓の発掘では、出資者や協力者が相次いで死亡した。今回の発掘に携わった考古学者たちは、住民が捨てるゴミと下水(20万リットル以上)が、バクテリアを繁殖させ、土壌を悪化させたと指摘する。
 「今回の発掘では、調査隊員の誰一人として死んでいない。マスクをせずに、汚染されたものに触れたりしたなら別だが」と、コック。一行はミイラの装飾品を調べる際にはマスクを付けることにしていた。「私の咳は、ミイラの装飾品に付いたバクテリアや汚染された土壌が原因だった。この町には下水設備がなく、そのため土壌も汚染されている」とコックは説明している。

――クリスティ・ウルリッヒ

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日本版の過去記事

2001年3月号「南米の謎の黄金文化 モチェ遺跡」

1999年11月号「神々に捧げられたインカの子供たち」

1998年7月号「再び発見、アンデスのミイラ」

1996年6月号「アンデス山中で凍結ミイラを発見」


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