従来の学説によると、北アメリカの最初期の先住民たちは小集団で絶えず移動しながら暮らしていた。しかし今回の遺物などからは、少なくとも夏の一時期は定住してサケやジリスなどを捕獲していた事実がうかがい知れる。
発掘チームを率いたアラスカ大学フェアバンクス校の考古学者ベン・ポッター(Ben Potter)氏は、「埋葬の様子から、最若年層が共同体の中でどのような扱いを受けていたのかを探ることができた」と話す。
◆埋葬方法の違い
過去の事例では、年代がより古い埋葬跡もいくつか存在する。だがこれほど手厚く埋葬された遺骸が、氷河期時代の居住域跡から見つかった例はない。
発見された遺骸は、生後6~12週の乳児と、ほぼ満期出産の新生児だった。現場はアラスカ州内陸部にあるホーソー・ナ(Xaasaa Na:「上流の太陽の川」の意)で、既に消失した半地下住居の下に埋葬されていたと見られている。
また、土が厚くかぶせられた埋葬跡の上部には火を燃やした形跡があり、乳児の親族たちが調理やゴミの処分に使用していたと考えられる。
ポッター氏らの発掘チームは2011年に、同じホーソー・ナで3歳前後と見られる子どもの埋葬跡も発見しているが、こちらは明らかに火葬された様子が伺える。
では、なぜこの3歳の子どもは乳児や新生児とは異なる方法で埋葬(火葬)されたのか。ポッター氏は、ある年齢を過ぎると人に魂が宿ると当時は信じられており、年齢を境にして埋葬方法が変わったのではないかと推測している。あるいは、父親など特定の血縁者の有無によって、儀式が異なっていた可能性もあるという。
また、火葬跡には副葬品がない一方、2人の乳児にはヘラジカの枝角や丁寧な加工跡を残す石の投げ矢と見られる狩猟道具が添えられていた。いずれも十分使える状態で、ポッター氏は乳児の血縁者が貴重な所持品を埋めたのではないかと見ている。
住居の中またはその近くに家族を埋葬するという行為は、現代の感覚からするといささか奇異に思えるが、先史時代にはそれほど珍しいケースではなかった。ロシアの極東地域では、およそ1万3000年前の住居跡から子ども数人の埋葬跡が発見されている。また、現在のトルコに位置する世界最古の都市遺跡チャタル・ヒュユクでは、自宅の真下に遺体を埋葬していたとされる。
◆埋葬にうかがえる初期定住者の精神性
今回の発見について、アラスカ大学アンカレッジ校の考古学者デイビッド・イェスナー(David Yesner)氏は、北アメリカ先住民の定住習慣を理解する上で「極めて重要」だと話す。
またテキサスA&M大学の考古学者テッド・ゲーベル(Ted Goebel)氏は、この遺跡での発掘調査が進めば、北アメリカ大陸に初めて定住した人々の精神性についても理解が深まるだろうと語る。
ゲーベル氏によれば、埋葬跡には「先史時代の文化の精神的側面」が表れているという。「われわれは埋葬のあり方を通じて、初期の定住者らの新たな実像をとらえることができるに違いない。単なる放浪生活というイメージは、いずれ塗り替えられることになるだろう」。
今回の研究結果は、「Proceedings of the National Academy of Sciences」誌オンライン版に11月10日付けで掲載されている。
Photographs courtesy of University of Alaska - Fairbanks / Ben Potter