「コステンキ14」と名付けられた、3万7千年前のロシアの男性。彼の骨から得られたDNAが、有史以前のヨーロッパに人類がどのように広がったかを示す手掛かりとなった。

Photograph by Peter the Great Museum of Anthropology and Ethnography (Kunstkamera) RAS
 現代のヨーロッパ人が共通して持っている遺伝子は従来の推定よりもずっと古いことが、先史時代のロシアの男性のDNA分析で判明した。 分析の対象となったのは、3万7千年前に生きていた男性の脚の骨の小さなかけらだ。採取したDNAの断片を調べたところ、この人物が遺伝的には現在ヨーロッパに暮らしている人々と驚くほど似通っていることが分かった。

 今回の論文の共著者で、コペンハーゲン大学の遺伝学者エシュケ・ウィラースレフ(Eske Willerslev)氏によると、この男性の遺伝子には、ヨーロッパに段階的に流入したと長く考えられてきた特徴的な遺伝子の痕跡が見つかったという。

 この発見は、有史以前のヨーロッパには移住の波が数段階あり、その都度人々が出会い、衝突し、混血したという筋書きとは一致しない。むしろ、人々は一度にまとまって移ってきたか、または数千年にわたって絶え間なく流れ込んだ可能性を示している。

 脚の骨は、ロシア南西部の都市ボロネジにほど近いコステンキ遺跡で発見された狩猟採集者のものだ。1954年に出土したコステンキの人骨は、ヨーロッパで見つかった現生人類の標本としては最古の部類に入る。

◆移住のシナリオ

 現代ヨーロッパ人の祖先はどんな人々なのか、彼らはいつ、どのようにヨーロッパにやってきたのか。考古学者や遺伝学者たちは、長い間議論を重ねている。よく言われる移住と侵略のシナリオは、ヨーロッパへの移動の波が何度かあり、その度に特徴的な遺伝子が痕跡として残されたというものだ。

 それによると、まず約4万年前、狩猟採集者の集団がアフリカからヨーロッパへ移住し始めた。かなり後になって、農耕・牧畜を営む別の集団が中東から北上し、先に住み着いていた狩猟採集者たちを圧倒するに至った。彼らが、現在目にするヨーロッパ人のゲノムの基礎を形作ったという。

 第2波として流入した人々による農業の導入、いわゆる「新石器革命」は先史時代の非常に重要な出来事であり、現在の遺物や遺伝子にもその形跡は残っている。

 こうした筋書きに意外な事実を提示するのが、ウィラースレフ氏らの新たな研究成果だ。

 コステンキの人骨は、他の遺伝学者がそれぞれ別の時代の狩猟採集集団と農耕集団のものと判断していた遺伝子を全て備えている。ウィラースレフ氏は、「ヨーロッパ人を最古の人々までさかのぼったら、現代のヨーロッパ人が持つ遺伝子がすでに全部備わっていたなんて、普通は予想しないでしょう」と話す。

 例えば、最初の農耕集団が新石器時代にもたらしたと従来考えられていた遺伝子は、実際にはもっと早くヨーロッパに入っていた可能性が出てきた。

 これほど古い標本でもDNAが複雑に混ざり合っているということは、石器時代のヨーロッパは活気に満ちた場所だったのかもしれないとウィラースレフ氏は話した。同氏は別々の集団が衝突したり時折混ざり合ったりしていたのではなく、遺伝的に似通った単一の集団が、ロシアから中東、北欧までのヨーロッパ全域に広がっていたとみている。

◆出アフリカの裏付け

 今回の成果はヨーロッパの歴史に対する一般的な理解に修正を迫る一方、より広く人類全体のアフリカからの移動について、遺伝学者らが唱えてきた説を裏付けるとも考えられる。

 現在の世界に生きている人々の遺伝子を調べた結果、研究者らは「出アフリカ」には大きく3つの段階があったと考えている。最初の集団は現在のオーストラリアと太平洋の島々までたどり着き、次の集団は東アジアに移り住んだ。そして最後にアフリカを出た人々がユーラシア大陸西部に住み着いてヨーロッパ人になった。

 そして実際、コステンキの男性は東アジアやオーストラロ・メラネシア系の人々とは関連がないことがDNAから分かった。このことは、3つの集団が分岐したのは3万7千年以上前だという可能性を示している。

 今回の研究成果は、「Science」誌に11月6日付で掲載された。

Photograph by Peter the Great Museum of Anthropology and Ethnography (Kunstkamera) RAS

文=Andrew Curry