アラル海、縮小の歴史

2014.09.29
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かつて中央アジアの巨大な湖だったアラル海が、60年ほどの間に10分の1以下の面積に縮小してしまった。左が 2000年8月、右が2014年8月の衛星画像。外側の黒い線は、1960年当時の湖岸線を示す。

Images by NASA Earth Observatory
 かつて世界で4番目に大きい湖だった中央アジアのアラル海の水量が、数十年間にわたる灌漑や近年の干ばつのため、これまでにないほど減少している。先週NASAが公表した衛星写真で、東アラル海は完全に干上がっていることがわかった。「アラル海が枯渇したのは、おそらく600年ぶりだ」と、カラマズー所在のウェスタン・ミシガン大学の地理学名 誉教授でアラル海研究者のフィリップ・ミクリン(Philip Michlin)氏は東アラル海の現状についてNASAに語っ た。

 NASAの地球観測衛生テラが8月に撮影し、9月30日に発表された画像には東アラル海が写っておらず、2000年8月 25日に撮影された画像とは明らかに異なっていた。

 淡水湖であるアラル海のかつての面積は、6万7300平方キロだった。長い間、湖のまわりには都市が栄え、潤沢 な利益をもたらすマスクラット毛皮産業や漁業に4万人もの人が従事し、水揚げ量の6分の1の魚がソビエト連邦に 輸出されていた。

 アラル海には中央アジアで最も大きな川の2つ、アムダリヤ川とシルダリヤ川が流れ込んでいた。しかし、1960 年代にソ連のエンジニアが大草原を農地として利用することを決め、カザフスタンおよびウズベキスタンで綿花 や麦の栽培を大規模に行うため、2万マイルの水路、45のダムと80以上の貯水地を含む巨大な灌漑ネットワークを 建設した。

 しかし、灌漑システムから水が漏れ出し、非効率だったため、川の水量が激減した。数十年のうちに、アラル 海は複数の小さな湖となり、合計水量は元の10分の1に減少した。また、湖水の蒸発によって塩分濃度が大幅に上 昇した。

 その結果、多くの魚が死に、湖岸は町から何マイルも後退した。町に残った人々は、工業型農業や兵器実験の 有害残留物を含む砂嵐に苦しむこととなった。

 2000年までにアラル海はカザフスタンの小さな北アラル海とウズベキスタンの大きな南アラル海に分かれ、南 アラル海はさらに東西に分かれた。東アラル海は2009年に一度干上がりかけたが、2010年の雨でいくらか水量を 取り戻していた。

 ミクリン氏によると 、今回の枯渇は継続的な灌漑と、雨量やアムダリヤ川の水源であるパミール高原の融雪水 が減ったことによるという。同氏は「東アラル海の周期的な枯渇は、今後も続くだろう」と語った。

Images by NASA Earth Observatory

文=Brian Clark Howard

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