観光地となった核時代の遺産

2014.09.17
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1946年、ビキニ環礁の海面下で核実験が行われた。爆発が軍艦へどのような影響を及ぼすかを調査するのが目的だった。

Photograph by Bettmann / Corbis
 ある見方によれば、冷戦は1945年、ニューメキシコ州トリニティ実験場で最初の原子爆弾が爆発した時に幕を開け、その41年後、ソ連崩壊への引き金となったチェルノブイリ原発事故によって終わりを告げたという。 今日、その歴史的遺跡のいくつかは一般に公開され、2つの超大国が核戦争へ向けて絶えず緊張状態にあった時代の記憶を伝えている。

◆ 1. 連鎖反応を成功させたシカゴ

 シカゴ大学構内にあったシカゴ・パイル1号は、マンハッタン計画がまだ初期段階にあった1942年に、エンリコ・フェルミとそのチームが初めて自動継続的核連鎖反応を起こすことに成功した原子炉である。

 1950年代半ばに施設は閉鎖され、シカゴ・パイル1号はもう1台の原子炉とともに埋められ、跡地には石の記念碑が建てられた。世界初の核遺跡である。

◆ 2. 原子爆弾がニューメキシコで誕生

 原爆の研究はシカゴから、冷気に覆われたニューメキシコ州ロス・アラモスの山へ移され、ここで世界最初の原子爆弾が完成した。現在、訪問者は徒歩でフラーロッジ(Fuller Lodge)を見学することができる。当時食堂や会議室として使われていた巨大なログハウスだ。その横には、ゲストの宿泊用に使用されていたキャビンがあり、今ではロス・アラモス歴史博物館となっている。

◆ 3. トリニティ実験場を引き金に核の時代へ突入

 ロス・アラモスから南へ約320キロ行った砂漠の中に、トリニティ実験場がある。ここで1945年7月16日、最初の原子爆弾「ガジェット」の爆発実験が行われた。毎年4月の第1土曜日に、この場所は観光客に公開される。爆発による激しい熱で、砂とその他の塵は融解してトリニタイトと言う緑色をしたガラス質の鉱石に変化した。ここにある残骸は、持ち帰ることは禁止されているのだが、しばしばオンラインのオークションサイトで売りに出されている。

◆ 4. 原爆の凄まじさを伝える広島と長崎

 元々はヒットラーへ対抗するために開発された原爆だが、ドイツが敗北したことでターゲットは日本へ向けられた。原爆を落とされた広島と長崎では、爆心地の周囲に公園と記念碑が建設され、原爆の恐ろしさを今に伝えている。広島平和記念公園の中でも最も印象深いのは、かつて広島産業奨励館であった廃墟である。現在は原爆ドームとして知られている。長崎平和公園に建っているレンガ造りの壁は、旧浦上天主堂の名残である。

◆ 5. ビキニ環礁が核実験場となる

 日本の降伏から1年も経たないうちに、アメリカは遠く離れたマーシャル諸島のビキニ環礁で最初の核実験を行った。今日、この場所はダイビングスポットとして人気を集め、ダイバーたちは実験に使用され沈んだ船を探索しながら、環礁の悲しい運命に思いをはせている。

◆ 6. ネバダ砂漠が実験場に

 1951年から1963年の部分的核実験禁止条約締結まで、ネバダ実験場では100回以上の大気圏内核実験が行われた。その後も30年以上にわたり、同じ場所で地下核実験が続けられた。現在では、エネルギー省が月に1回のツアーを組んで一般公開されている。

◆ 7. アリゾナ州のミサイル格納施設

 冷戦時代、ここタイタン・ミサイル博物館の地下格納庫には大陸間弾道ミサイルが鎮座し、ソビエトへの攻撃命令が降りればすぐに発射できるよう現場関係者らは24時間体制で待機していた。今は使用されていない格納庫へ、訪れた人々は降りていくことができる。手続きを取ればそこで一夜を明かすことも可能だ。

◆ 8. バージニア州とウェストバージニア州の地下避難施設

 ソビエトとの核戦争が起これば、アメリカ大統領とその他の主要人物らはバージニア州マウントウェザーに建設された広大な地下施設へ避難し、放射能が収まるまでそこで過ごす計画だった。連邦議会の議員たちにも、ウェストバージニア州山中にあるグリーンブライアー保養所の地下避難施設が用意されていた。where chambers had been excavated for the House and Senate.現在も稼働中のマウントウェザーは一般公開されていないが、グリーンブライアーの方はかつての地下施設を見学することができる。

Photograph by Bettmann / Corbis

文=George Johnson

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