市民科学の始まり、1833年の流星雨

2014.09.02
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1833年の流星雨を描いた木版画。

Image courtesy of Elsevier/M. Littmann
 新しい歴史研究で、流星研究が本格化したのは1833年の大規模な流星雨のエピソードを“クラウドソーシング”で集めたのがきっかけだったことがわかった。 インターネット時代の現在、市民天文愛好家が収集するデータが研究に使われることが増えている。しかし、テネシー大学の研究者、マーク・リットマン(Mark Littmann)とトッド・スオメラ(Todd Suomela)の両氏が「Endeavour」誌に発表した報告によると、市民科学者の科学研究への貢献は新しい現象ではなく、100年以上も前にイェール大学のある研究者が“クラウドソーシング”によるデータ収集を実践していたという。

 天文学者デニソン・オルムステッド(Denison Olmsted)は、1833年11月13日の夜、近所の人々の声で目を覚まし、寒空の下に出て空いっぱいに流れ星が流れるのを観察した。その数は一時間に7万2000個を超えるものだった。この流星雨は今日、しし座流星群と呼ばれているが、当時は何故そのような現象が起こったのか、また、流星がどこから来るのかを知る者はいなかった。1秒間に2つという凄まじい数の流れ星が空を覆うのを目にして、オルムステッドは天文学者らがまだ知らなかったあるパターンに気がついた。

「オルムステッドは流星がみな天球の1つの点から流れ落ちていることを初めて発見し、その点を流星の放射点と名付けた」とリットマン氏は述べる。放射点は今日でも流星群の名前に使われている。獅子座流星群は獅子座から飛んで来るように見えることから、また、毎年8月に観察されるペルセウス座流星群はペルセウス座から飛んで来るように見えるため、そう呼ばれている。

◆市民科学の誕生

 オルムステッドはすぐさまコネティカット州ニューヘイブン(New Heaven)市の「Daily Herald」紙にこの流星雨についての報告書を送り、「流星の原因は明らかでないため、この現象に関し、できるだけ正確な事実を集めることが必要だ」との見解を発表した。

 この記事は全米の新聞に掲載され、多くの州から集まった情報は科学者らによる観察データとともに「American Journal of Science and Arts」誌に送られた。

 オルムステッドはまた、市民からの情報をもとに、流星は天に浮かぶ気泡が発火したものだという2千年にも渡るアリストテレスの説明に終止符を打ち、数々の科学的ブレイクスルーを成し遂げた。当時、流星は雷により発火していると考えられていた。

 しかし、オルムステッドが集めた市民の観察データは、流星雨は全米で見られた現象であり、重力の影響を受けて落下したことを示していた。また、流星雨はそれ以前にも毎年見られていたことも明らかになった。

 オルムステッドは流星が地球の大気圏の外から秒速1マイル(6.4キロ)の速度で落下したと推定した。摩擦を考慮に入れなかったため流星の大きさは直径最大1マイル(1.6キロ)にもなると考えたが、高度はほぼ正確に計算し、流星は太陽のまわりに細長い軌道を持った天体から落下すると結論づけた。

「オルムステッドはマスメディアにおけるクラウドソーシングを活用した最初の科学者であり、時代を先取りした並外れた人物だった」とリットマン氏は語る。「流星研究はこの流星雨がきっかけで始まったと言っても過言ではない」。

 今年は11月16日と17日の両日にしし座流星群が見られる。

Image courtesy of Elsevier/M. Littmann

文=Dan Vergano

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