遠方より来たる“泥炭地のミイラ”

2014.07.24
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デンマークのシルケボー博物館に収蔵・展示されているトーロン人。革ひもで首を吊された後、泥炭地に投げ込まれたという。

Photograph by Robert Clark / National Geographic
 デンマークの泥炭地(ボグ)では、紀元前800年~西暦200年前後、鉄器時代の遺体や遺骨が500以上も発見されている。そのほとんどは皮膚や毛髪、衣服、胃の内容物が極めて良好な状態で保存されている。酸性の泥炭地土壌は、酸素が少ないためだ。 デンマークのユトランド半島で1950年に発見されたトーロン人は、おそらく世界で最も有名な例だ。デンマーク国立博物館の研究者、カリン・マルガリータ・フレイ(Karin Margarita Frei)氏は、「約3日分のあごひげがはっきり確認できる。今にも目を開けて話しかけてきそうだ」と表現する。

 デンマーク各地の博物館には、自然にミイラ化した泥炭地の遺体「ボグボディー(bog body)」が30ほど収蔵されている。中には喉を掻き切られている遺体もあり、犯罪者や奴隷、あるいは単に平民として生贄にされたのではないかと考えられてきた。

 しかし、最新の研究によると、生前は居住する村で特別な存在として扱われていた可能性があるという。

 2つの女性遺体、ハルドレモーズ(Huldremose Woman)とハラルドスカー(Haraldskaer Woman)を新たな手法で化学分析した結果、長い旅をした痕跡が示された。また、衣服の一部が外国製で、精巧な作りが伺える。

 フレイ氏は6月、コペンハーゲンで開催されたユーロサイエンス・オープンフォーラム(EuroScience Open Forum)でナショナル ジオグラフィックの取材に応え、「何かを捧げるという場合は、それに有意ある価値を見出しているはずだ。おそらく、遠い地から訪れた人には特別な意味合いがあったのだろう」と推測している。

◆超自然的な世界への扉?

 デンマーク国立博物館で古代の布地を研究するウラ・マネリング(Ulla Mannering)氏によれば、6000年前の新石器時代、泥炭地はヨーロッパの人々にとって貴重な資源であるとともに、超自然的な世界につながる恐ろしい扉のような存在だった可能性があるという。

 暖房の燃料にもなる泥炭は、木の少ないデンマークでは特に珍重された。また、先史時代の人々は“何かを得たら返す”行為が自然だったと推察される。

 多分、デンマークの村人たちは、衣服や履き古した靴、動物の肉、使い古した武器を、真っ黒な泥炭地の底に“贈り物”として投げ込んでいたのだろう。そして、人も例外ではなかった時期が約500年間ほど続いたと考えられている。

◆“とても上品な女性”

 1800年代半ばから後半にかけて、泥炭を採掘する人々が偶然、遺体を発見するようになる。多くが衣服を身に着けていなかったため、平民に違いないという見方が固まったと、フレイ氏は説明する。

 例えば、トーロン人が身につけていたのはベルトだけだった。フレイ氏は、「裸でベルトを巻く姿は想像しにくい」と指摘している。

 何世紀も泥炭地に沈んでいたため、衣服が分解されたケースを想定したフレイ氏は、ハルドレモーズを調べてみることにした。1879年の発見当時、ミイラ化した遺体は羊毛で織られたチェックのスカートとスカーフ、レザーのケープ2枚を身に着けていた。

 顕微鏡で調べたところ、2300年前に生まれたこの女性の皮膚に小さな植物繊維が付着していたという。古代の下着の痕跡と思われ、分析の結果、亜麻の繊維である可能性が高まった。

 次の段階でフレイ氏は、誰も思いつかなかった検証作業に踏み切る。亜麻と羊毛の繊維に含まれる、ストロンチウム原子の同位体を分析したのだ。地域によって微妙に異なる複数の同位体の比率を調べれば、亜麻やヒツジの産地に関する化学的な手掛かりが得られる。

 下着の糸の一部だった植物繊維は、デンマークより地質学的に古い地形で栽培された可能性が示された。ノルウェーやスウェーデンなど、スカンジナビア半島の典型的な地形だ。つまり、ハルドレモーズは別の場所からやって来た可能性が高くなった。この分析結果は2009年に「Journal of Archaeological Science」誌で発表された論文に掲載されている。

 フレイ氏はさらに、皮膚のストロンチウム同位体を分析。食べ物や水に含まれる微量のストロンチウムが、人体にも吸収されるからだ。

 フレイ氏の推測は見事に裏付けられ、ハルドレモーズの体にはデンマーク以外の場所に存在するストロンチウム原子が含まれていたという。泥炭地に投げ込まれる前、外国を旅した事実を示唆する結果だ。

 デンマーク国立博物館のマネリング氏が2009年に発表した別の論文によれば、ハルドレモーズが身に着けていた羊毛の衣服は泥炭に埋もれて茶に変色していたが、元の色は青と赤だったという。染色は富の象徴だと、マネリング氏は述べている。

 フレイ氏は、「正体は魔女に違いないと思っていた。しかし今は、高価な衣服と下着をまとう上品な女性を想像している」と話す。

◆毛髪も分析

 フレイ氏らは数々の研究結果を強固にするため、1835年に発見されたハラルドスカーも研究対象に加える。この遺体は当初、ノルウェーのグンヒルド女王(Queen Gunhild)だと考えられていた。

 急速な技術進歩のおかげで、毛髪のストロンチウム同位体も追跡で可能となり、人生の最後の数年に暮らした場所が判明する。

 初期の分析からは、ハルドレモーズと同様な結果が得られたという。つまり、どこか別の土地で暮らしていた二人が、何らかの理由で泥炭地に捧げられた可能性が生まれている。

Photograph by Robert Clark / National Geographic

文=Christine Dell'Amore in Copenhagen

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