天安門1989年6月4日(4)

2014.06.04
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騒乱のあと、抗議学生の放火で炎上し放置された人民解放軍の装甲車と、轢かれて変形した自転車。事件は間もなく、“天安門広場の虐殺(Tiananmen Square Massacre)”と呼ばれるようになった。

Photograph by David Turnley / Corbis
 騒乱のあと、抗議学生の放火で炎上し放置された人民解放軍の装甲車と、轢かれて変形した自転車。事件は間もなく、“天安門広場の虐殺(Tiananmen Square Massacre)”と呼ばれるようになった。 こわれた自転車がこの位置に懸けられていた理由はわからない。犠牲者の数も、中国共産党によれば319人だが、本当に何百人、何千人だったのか今も明らかではない。

 この1989年、11月にベルリンの壁が崩壊、12月にはマルタのブッシュ・ゴルバチョフ会談で冷戦の終結が宣言された。日本では年末の東証大納会で日経平均株価が史上最高値を付けたあと年明けから下落が続き、バブルが崩壊していった。

Photograph by David Turnley / Corbis
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