ちょうど100年前、1914年撮影のエッフェル塔。今やパリの最も象徴的な存在だ。

PHOTOGRAPH BY UNDERWOOD AND UNDERWOOD, NATIONAL GEOGRAPHIC
 パリのエッフェル塔が竣工から125周年を迎えた。今でこそ美しい姿に見とれる人も多いが、1889年当時は大胆で荒唐無稽との評価が大半を占めていた。設計者はアレクサンドル・ギュスターブ・エッフェル。伝記を読む限り、魅力的な人物というより、むしろ冴えない男だったようだ。彼は何故これほど美しい構造物を生み出すことができたのだろうか。 その答えは彼自身の言葉の中に見つけることができる。彼は言った。「エッフェル塔のフォルムは、“風”が創造した」。

 地上300メートルの屋上からは、“光の都”パリの街並みを一望できる。新婚旅行で訪れ、その眺めを一生の思い出としている夫婦は数知れないだろう。だが、当の本人は生前、ロマンスにはまったく縁がない人物だった。

 エッフェルはよほど恋愛運に恵まれなかった人らしい。プロポーズは実に6度も断られている。ついには母親に適当な嫁を見つけてくれるよう頼むのだが、彼の言う“適当な嫁”とは、「良き家政婦であって、私に面倒をかけず、浮気もあまりせず、私の血を確かに受け継ぐ健康な子どもを生んでくれる女性」だった。この発言の中には、精神分析の材料となるような内容が多分に含まれている。ただしそれはエッフェル塔の形状についてであって、彼の恋愛事についてではない。

 筋金入りの実業家であり技術者であったエッフェルは、当時急速に整備が進んでいた鉄道の橋梁や駅舎などを次々と建設、その名を広く知られるようになっていく。1889年のパリ万国博覧会の開催が決定すると、主催者はシャン・ド・マルス公園の傍らに高くそびえる記念碑を建造する計画をぶち上げる。

 製図が苦手だったエッフェルがアシスタントに描かせた、コンペのラフスケッチが残っている。この時点では、鉄道高架橋の鉄柱、あるいは石油掘削用のやぐらを思わせるようなプランだったがその後、“風との闘い”が姿を一変させることになる。

 エッフェルが交わした契約書には、高さ300メートル前後の世界で最も高い建造物という条件が記載されている。当時の構造技術を駆使しても、300メートルの塔が強風に耐えられるデザインは至難の業だった。というのも1879年、スコットランドで鉄道橋が強風で倒壊、通過中の列車と乗客75名がテイ湾に転落するという大事故が起きていたからだ。

 難題を突きつけられたエッフェルは、2つの解決策を見出す。まず、(三角形状を組み合わせた)レース状のトラス構造を採用し、風圧荷重を極力減らす。ちなみに、エッフェル塔はある意味で空気よりも軽い。組み上げた鍛鉄(鍛造された鉄)の重量は、その周囲に存在する空気の全重量に比べて小さいのだという。さらに、曲線的な尖塔構造によって、風圧荷重と塔の重量を地面へと安全に逃がす。

 エッフェルは記している。「垂直方向の各部材は、あたかも地面から突然現れ、風の作用に即して曲線を描いた後、尖頭部で1つに結集するのだ」。

 エッフェル塔の美しいフォルムは言わば、技術者の計算から生まれたことになる。それは当時、世界でもまったく新しい美の形状であって、「形式は機能に従う」というモダニズムの格言を先取りしていた。ただ、1889年当時のパリの知識人たちの不評を買ってしまうことになる。

 短編小説の名手として知られるギ・ド・モーパッサンは後年、エッフェル塔を嫌悪するあまり、やむなくフランスを見限ったと述べている。

 当初、パリ万博の呼び物として建設されたエッフェル塔はその後数十年間、幾度となく解体の危機にさらされたが、辛うじて免れ、現在に至っている。今でもパリの街角を曲がると、空高くそびえる姿が突然目の前に出現し、ハッとさせられる瞬間がある。何と言おうか、実に新鮮なのだ。エッフェル塔が存在しないパリなど、誰が想像できるだろうか。

PHOTOGRAPH BY UNDERWOOD AND UNDERWOOD, NATIONAL GEOGRAPHIC

文=Robert Kunzig