ナチス、マラリア蚊の兵器使用を計画?

2014.01.31
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メスのガンビエハマダラカ(学名:Anopheles gambiae)はマラリア原虫を媒介する。

PHOTOGRAPH BY DR. TONY BRAIN, SCIENCE PHOTO LIBRARY, CORBIS
 悪名高いダッハウ強制収容所のナチス科学者は、第二次世界大戦時ドイツの敵に対し、攻撃用生物兵器を使用する計画を立てていたのかもしれない。新たに見つかった記録では、マラリアを媒介する蚊を航空機から投下する計画があった可能性が示唆されている。 生物戦、つまり病気の原因となる生物や天然毒素を敵に向けて放つ戦術は、古代から存在する。第二次世界大戦では、連合軍と日本軍の両者で細菌を生物兵器として使用する計画が進められていた。

 最近発見されたダッハウ強制収容所の研究プロトコルは、ドイツのテュービンゲン大学の生物学者クラウス・ラインハルト(Klaus Reinhardt)氏が「Endeavour」誌の12月号で報告したもので、長年疑われていたように、ドイツにも攻撃用生物兵器の計画があったことを示唆するものだ。

 戦時中ヒトラーは生物兵器を使用しないよう命令を出していたが、専門家の間では数十年にわたり、ナチス政権の裏側ではそのような計画があったのではないかという議論がなされてきた。ナチスの闇を覆うベールに穴を開けるのを困難にしたのは、生物兵器に対する防御のための研究は、それを作るための研究と重なる部分が多く、防御のための研究が攻撃のための研究につながる場合もあることだ。これは生物兵器の重要かつ危険なパラドックスだ。

 ラインハルト氏によると、ナチスは実際に生物兵器による攻撃のための研究を実施していたのではないかという。それは昆虫研究者エドゥアルト・マイ(Eduard May)が主導する強制収容所の昆虫学研究所でひっそりと行われていたらしい。

◆蚊の兵器

「Endeavour」誌に掲載された報告でラインハルト氏は、ドイツ政府が保管するマイによって書かれた報告書を引用し、マラリアを媒介する蚊の内の一種が上空からの投下計画を「実際に遂行」するのに最適だと述べている。その研究所で実施された研究では、航空機内で蚊が生存可能な時間を検証し、アノフェレス・マキュリペニス(Anopheles maculipennis)というマラリア蚊の一種が、餌のない状況において他種よりもはるかに長時間生存することが示されている。

「マラリアを運ぶ蚊を飼育し人々に向けて投下するという意図は、”飼育基地”、”投下地点”といった言葉に端的に表れている」とラインハルトは述べている。「マイが実際手にしていた施設はずいぶん情けないものだったが」。

 ドイツでは冬の寒さや温暖な沼地が少ないため、マラリア蚊が生存することは難しかった。

◆諸刃の病

 ジョージ・メイソン大学大学院で生物兵器防衛を専門とするグレゴリー・コブレンツ(Gregory Koblentz)氏はまだ、ダッハウで実施された研究が攻撃を目的としたものであるとは納得していない。

「マイが行った蚊とマラリアの研究のような、さまざまな生物媒介によってもたらされる脅威を評価する研究は、攻撃と防御のどちらを目的としたものであるか分類するのは極めて困難だ」とコブレンツ氏は述べる。「仮にマイの意図が攻撃目的であったとしても、これは全くの予備試験であって、実際の計画実行に堪える昆虫媒介性の生物兵器を作り出すには、まだいくつもの段階が必要だ」。

 ナチス・ドイツが生物兵器を使用した戦闘を計画することが、特に大戦末期の混乱したドイツの状況では困難であったことは、ラインハルト氏も認識している。

「ナチスが逃げ出して、連合軍がそのあとを引き継いだ。戦後アメリカはナチスの研究者を雇って同様の研究を行っている」とラインハルト氏は語る。「残された証拠はどれも決定力に欠けるものだ」。

◆食い違う歴史的証拠

 ほとんどの歴史学者は、1942年にナチス親衛隊長ハインリヒ・ヒムラーの命令により設立されたダッハウの研究所は、防衛的な性質のものであったと結論づけている。「いかなる攻撃計画も、”生物戦”への進展に対するヒトラーの禁止命令によって阻まれていた」とエアハルト・ガイスラー(Erhard Geissler)氏は1999年の報告書で記している。

 一方でイェール大学の歴史学者フランク・スノーデン(Frank Snowden)氏のように、ドイツ軍は1943年イタリアでローマ南部の沼沢地をあふれさせ、その地域にマラリアを媒介する蚊を導入までしていると示唆する学者もいる。これらの報告は連合軍とイタリアの記録に基づくものだ。

 大方の専門家の間では、今回の発見はナチスの生物戦計画を決定づけるものではなく、まだ議論は続くものとみられている。ピッツバーグ大学健康安全保障センター(UPMC Center for Health Security)の専門家エリック・トナー(Eric Toner)氏によると、「Endeavour」誌に掲載された研究は、生物兵器防衛の研究がダッハウで行われていたことを示す良い証拠ではあるという。

「しかし、それが攻撃のための生物兵器研究であったことを示す決定的な証拠は見当たらない」とトナー氏は語る。防衛と攻撃のどちらを目的とした研究であったかは、依然として解明することが困難な歴史上の問題であるという。

PHOTOGRAPH BY DR. TONY BRAIN, SCIENCE PHOTO LIBRARY, CORBIS

文=Dan Vergano

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