癌を克服したイヌの“スクルーブル”。手前はCTスキャナ。

PHOTOGRAPH BY DANNY LAWSON, PA WIRE VIA AP
 イヌの癌には特殊なものがある。動物の中で、イヌとタスマニアデビルの2種のみが、個体間で伝染する癌にかかるのだ。 イヌの性器に腫瘍を形成するこの種の癌は、1万1000年前に発生したものであることが、最新の遺伝学研究で明らかになった。ずっと生き続けている癌としては最古のものだ。

 イヌは人間と同じような癌も発症するが、伝染性の癌の場合は、腫瘍をもつ個体が交尾をすると、腫瘍の細胞がはがれ落ち、相手の個体に新たな腫瘍が発生するという形で広まる。研究によると、この癌の起源は、現生のアラスカン・マラミュートやハスキー犬に近い、古代のイヌの1個体だという。

 ナショナル ジオグラフィックでは、研究の筆頭著者で、イギリスのケンブリッジ大学およびウェルカム・トラスト・サンガー研究所に所属する癌遺伝学者のエリザベス・マーチソン(Elizabeth Murchison)氏に話を聞いた。

◆イヌの癌を研究しようと考えたきっかけは?

 この病気のことは以前から知っていました。私はオーストラリア、タスマニア州の出身なので、タスマニアデビルの癌については詳しいのです。イヌの癌についても研究で知って興味をもち、イヌやタスマニアデビルを助けるために、遺伝学とゲノム学を使って詳しく解明したいと考えました。

◆イヌの癌はタスマニアデビルの癌と関連があるのですか?

 これらは別の疾患です。(2つの癌は)別々に発生したものですが、自然発生した伝染性の癌で、癌細胞が直接伝染して広まるものは、この2つしか知られていません。タスマニアデビルの癌は悪性度が高く、噛み傷を介して伝染し、このままでは種が絶滅するおそれがあります。一方、イヌの癌は広くみられますが、治療がかなり有効で、化学療法で治せます。

◆人間にはこのような形で伝染する癌はありませんよね。ヒトパピローマウイルス(HPV)が子宮頸癌に果たす役割についてはどうでしょう?

 HPVは、ヒトの子宮頸癌と強く関わっていますが、癌そのものが伝染するわけではなく、ウイルスが癌の発症リスク(を高めるの)です。ヒトの癌で連想される最も近いものといえば、HeLa細胞ですね。数十年前に亡くなった癌患者に由来する細胞株です。これは実験室で人工的に生かされているものですが、癌が元の宿主の死後も生き続け、それ自体が生命をもち、増殖して広がっているという意味では似ています。

◆癌が長く生き続けていることが注目を集めています。しかし個人的には、イヌやタスマニアデビルの癌が伝染するということにも、同じくらい興味を引かれるのですが。

 これらの癌は、我々が理解していると考えていた多くのルールに反しています。例えば、宿主から宿主へと伝播し、異なる宿主の体内で生きられるという点。免疫系が他者の組織を検知し、排除しているはずなのにです。

 これらの癌は、なんらかの方法で免疫系をだまし、自らを異物と認識されないように、あるいはおそらく存在そのものを認識されないようにしているのです。これらの癌を研究することで、癌全般の免疫系との関わり方について、さらなる知見を得られる可能性があります。

◆人間の癌の治療に役立つ可能性は?

 このような癌が他の生物種、場合によってはヒトに発生する可能性に備える必要はあるでしょう。1つの癌が伝染性をもつだけで、新たな感染症が1つ増えることになります。

◆イヌの癌が人間にも伝染する危険は?

 20世紀初頭には、齧歯類(げっしるい)や他のイヌ科動物など、他の生物種にもこの腫瘍が伝染するかどうかを調べる研究が数多く行われ(ました)。齧歯類やネコには腫瘍が発生しなかったため、ヒトにも発生しないはずです。ただし、コヨーテやジャッカルなど、他のイヌ科動物には発生する場合があります。

◆1万1000年前というとかなり古いですね。これまで知られている中で最も古い癌ですか?

 いえ、数千万年前の癌の痕跡が、恐竜から転移性の脳腫瘍が見つかっています。癌は大昔から存在します。しかし、現在もなお生き続けている癌としては、これが最古のものです。

PHOTOGRAPH BY DANNY LAWSON, PA WIRE VIA AP

文=Marc Silver