ペルー、モチェ文化の生贄は戦争捕虜か

2013.11.20
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生贄とみられる複数の遺体。人々にさらされた後、竪穴に放り込まれたと考えられている。

Image courtesy Dr. John Verano
 南米ペルーの古代神殿遺跡で発掘された遺体は、戦争の際に捕虜となった遠方出身者である可能性が高いことが明らかになった。考古学者らの研究チームが、生贄とみられる遺体の骨や歯を分析した結果が公表されている。 これらの遺体は、西暦100年から850年頃にかけてペルー沿岸部に栄えたモチェ文化の神殿遺跡で見つかった。部分的に切断された状態で竪穴に埋められている。

 研究に参加したアメリカ、テュレーン大学の考古学者ジョン・ベラーノ(John Verano)氏によると、モチェ文化の生贄の素性に関して、高貴な人々、もしくは戦争捕虜という2つの説が存在したという。

◆頻繁に行われていた生贄の儀式

 ペルー北西部の都市トルヒーリョ近郊にあるワカ・デ・モチェ遺跡(Huacas de Moche)では、1999年からの調査では50基以上の墓が発見されている。遺体も70体近く出土し、神をなだめるために捧げる生贄の儀式が頻繁に行われていたと推測されている。ベラーノ氏は、戦争捕虜の可能性が高いとその根拠を述べる。

「高貴な人物なら丁重に埋葬するはずだ。バラバラにして骨をトロフィーのように扱う訳がない」。

 遺跡からは、生贄の儀式の様子が描かれた工芸品がいくつも出土している。中には、捕縛した裸の男性を殺す場面や、生贄の血で満たされた杯を祭司や巫女が神に捧げる姿を描いた品もある。

◆遠方出身者が生贄に

 アメリカ、セントラルフロリダ大学のJ.マーラ・トイン(J. Marla Toyne)氏率いる調査チームは今回、合わせて34体の遺体を分析した。竪穴に埋められていた若い男性の中には、喉に裂傷の痕跡が認められたり、骨の一部が切断されている遺体も含まれていた。

 調査チームは、整然とした墓所に埋葬されていた遺体も含めて、酸素の同位体分析を行った。

 骨や歯に蓄積される酸素原子の同位体比は、どの土地の水を摂取したかによって違いが現れる。幼年期および死亡するまでの数十年間の生活の場が特定できるというわけだ。ちなみに、墓所に埋葬されていた高貴な男性は、すべて墓所周辺の川の水を飲み水にしていたことが明らかになっている。

◆時代に伴う変化

 全盛期を迎えた西暦600年頃のワカ・デ・モチェには、推定およそ2万5000人が暮らしていた。

 トイン氏はこう話す。「犠牲者の出自は、当時の人々が抱いていた社会的立場に対する通念を色濃く反映している。モチェでは時代が下るにつれて、より遠方の土地で生まれ育った人が多く犠牲になっている」。

 ペルー文化省の考古学者ルイス・ハイメ・カスティーヨ・バターズ(Luis Jaime Castillo Butters)氏によると、モチェ文化の盛衰についての議論が20年間続いてきたという。複数の都市がアンデスの沿岸地域で勢力の拡大を目論んでいたという説もある。

「ワカ・デ・モチェを中心とする南部モチェは、実際に拡大路線を目指していたと考えられる。同位体分析を用いたトイン氏らの調査が、それを裏付けたと言って良い」とバターズ氏。

◆都市間の覇権争い

 ワカ・デ・モチェの発見は今からおよそ50年前。当時の考古学者らは、数百年間君臨したモチェ帝国の首都だと考えていた。

 現在は、いくつかの主要な都市が権力と資源をめぐって互いに争っていた可能性が有力視されている。当然、武力衝突に発展したケースもあったに違いない。勝者に連行された人々が、宗教儀式の中で生贄として捧げられたと考えるのが自然だ。

 モチェ文化は、同時代に栄えた古代マヤ文明とは異なり文字による詳しい記録が残存していない。今回の調査によって、その謎の一端が明らかになりつつある。

 10年以上発掘調査に携わってきたベラーノ氏は、「綿密な調査活動をこれからも続けるつもりだ」と気を引き締めている。

 今回の調査結果は、「Journal of Archaeological Science」誌オンライン版で公開されているほか、同誌2014年2月号に掲載される予定。

Image courtesy Dr. John Verano

文=Brian Handwerk

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