ミシシッピ文化、カホキアは洪水で衰退

2013.11.05
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カホキア(写真)付近で見つかった手がかりから、この集落にとって人口と繁栄のピークにあたる時期に洪水が起きたことが判明した。

Photograph by Ira Block, National Geographic
 約1000年前、現在のイリノイ州セントルイス近郊にあたるミシシッピ川の氾濫原に、北アメリカ先住民の人々が住む大集落が忽然と現れた。今ではカホキアという名で知られるこの集落は、誕生から300年後には、ほぼ廃墟と化した。 カホキアの突然の登場とその後の急激な衰退の理由は、北米大陸の先史時代に関する最大の謎の1つとなっている。しかし新た研究により、集落の衰退の原因について、1つの可能性が浮上してきた。それは大洪水の発生だ。

 これはウィスコンシン大学マディソン校の博士課程に在籍する学生、サミュエル・E・ムニョス(Samuel E. Munoz)氏が率いる研究チームの発表で明らかになったものだ。同チームは、カホキアの近くにある湖の堆積物コアを分析し、西暦1200年前後にこの地域で破壊的な規模の洪水が発生したことを明らかにした。これはちょうど、カホキアの集落が、人口と繁栄の両面でピークにあった時期だ。

 ムニョス氏のチームは、約1700年前にミシシッピ川の本流から切り離された三日月湖であるホースシュー湖の堆積物コアを分析した。その結果、はるか昔の大洪水によりもたらされたとみられる、厚さ19センチのシルト質粘土の層が見つかった。

 このときに発生した洪水の水位が、カホキアの中心部にある最大のマウンドを浸水させるほどの高さに達したとは考えにくい。このマウンドは今ではモンクス・マウンドと呼ばれ、現代の建物に換算すると10階相当(約30メートル)の高さを持つ。しかし、これほど大規模な洪水であれば、農地や居住エリアに壊滅的な打撃を与えたはずであり、これにより最盛期には1万5000人に達したとみられる住民が、この地に住み続けられなくなった可能性もある。

 この大洪水が、カホキアの衰退と放棄の引き金になったのか、それとも衰退を加速する一要素にすぎなかったのかという問題は、今後の研究に委ねられる。しかし、これまでにはっきりしていることがある。洪水の発生から150年以内に、メキシコより北の北米地域では最大の先史集落だったカホキアはゴーストタウンと化し、その後ヨーロッパからやってきた入植者が、無人の巨大マウンド群を見て首をひねることになるのだ。

 大洪水の発生は、カホキアの来歴に関する新たな問題提起だが、今回の研究チームが提示したその他のデータは、カホキア、そしてこの遺跡が属するミシシッピ文化の歴史に関する考古学界の既存の説とも整合性のあるものだ。

◆花粉の分析からわかる農耕文化の盛衰

 今回の研究では、ホースシュー湖の堆積物コアから見つかった花粉沈殿物の分析から、農耕の隆盛と、それに伴う急速な森林伐採の状況が判明した。この地の農耕は西暦450年前後に始まり、900年から1200年にかけてトウモロコシの栽培がピークに達する。堆積物コアの分析によると、その後に問題の大洪水が発生し、そこから先はトウモロコシの栽培が衰退していくという。花粉記録によると、1350年までに、この地では農業がほぼ行われなくなっていたようだ。

 花粉記録の研究を専門とする地理学者のムニョス氏は、ミシシッピ文化が栄えた北米の南東地域について、花粉記録に関する研究が非常に少ない点に着目したという。「さらに、大きな考古学遺跡の周辺地域については、ほとんど過去の研究がない状態だった」と同氏は指摘する。そこでカホキアに近いホースシュー湖の存在を知り、ここは調査してみる価値があると考えたとのことだ。

「こうした氾濫原にある湖は長い間、こうした花粉記録の調査箇所としては見逃されてきたが、非常に大きな価値を持つ可能性がある」とムニョス氏は述べている。同氏の研究は、ナショナル ジオグラフィック協会の助成金を受けて実施されている。

 しかし、カホキア衰退の謎に関するこれほど大きな手がかりを得られるとは、ムニョス氏にとっても予想外のことだったという。「自分たちが見ているものが洪水の痕跡で、しかもその発生時期がちょうどカホキアにとって重要な時期にぴったり合致することがわかったときには、胸が躍った」と、同氏も発見時の驚きを語っている。

 この研究は、米国時間2013年10月27~30日にコロラド州デンバーで開催されたアメリカ地質学会(GSA)の年次総会で30日に発表された。

Photograph by Ira Block, National Geographic

文=Glenn Hodges

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