地中海東岸の文明は干ばつで崩壊?

2013.10.25
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花粉粒子の化石を分析した結果、深刻な干ばつが150年間にわたって連続して発生した形跡がみられた。

Photograph by Bob Sacha, Corbis
 今から約3200年前に、地中海東岸に栄えていた文明、それも1つでなく複数の文明が崩壊した原因は何か? 考古学者たちを長年悩ませてきた歴史の謎が、ガリラヤ湖の湖底堆積物から採取した花粉粒子の化石の分析によって解明された可能性がある。「短期間のうちに、青銅器時代の全世界が滅んだ」と、研究主著者の1人で、テルアビブ大学考古学研究所の考古学者イスラエル・フィンケルシュタイン(Israel Finkelstein)氏は述べる。

「ヒッタイト王国、古代エジプト王朝(新王国)、ギリシャのミケーネ文明、銅を生産していたキプロス島の王国、現在のシリア沿岸にあり、貿易の中心地として栄えたウガリット、エジプトの勢力下にあったカナンの都市国家群、それらがみな消滅し、ほどなくしてイスラエル王国やユダ王国など、鉄器時代の領域王国がこれらに取って代わった」。

 戦争、疫病、突然の災害などが原因として考えられているが、このほど、高度な花粉採取技術と放射性炭素年代測定の向上によって、“主犯格”が明らかになったとフィンケルシュタイン氏のチームは考えている。その主犯格とは、干ばつだ。紀元前1250~1100年ごろの150年間に、深刻な干ばつが連続して起こったのだという。

 このかなり明確な年代は、現在のイスラエルにあるガリラヤ湖の湖底堆積物から掘削されたコア試料によって導き出された。このコア試料は、深さにして湖底から18メートル下、時間にして過去9000年分に及ぶ堆積物の層を採取したものだ。

◆花粉は植物の“指紋”

「我々は紀元前3200~前500年の期間に研究の的を絞った」と、テルアビブ大学の花粉学者(古代の花粉を研究する研究者)であるダフナ・ラングート(Dafna Langgut)氏は述べる。ラングート氏は、フィンケルスタイン氏、およびドイツ、ボン大学の地質学教授トーマス・リット(Thomas Litt)氏とともに今回の研究を行った。

 研究チームは、花粉のサンプルを40年ごとに採取して調べ、植生の変化を追跡した。「花粉の粒子は植物の“指紋”だ」とラングート氏は述べる。「古代の自然植生や過去の気候条件を再構築する上で非常に役立つ」。

 分析の結果、紀元前1250年ごろにオークやマツ、イナゴマメの木の数が急減していることがわかった。これらは青銅器時代後期の地中海沿岸地域には伝統的にみられた植物だが、代わりに半乾燥気候の砂漠地帯によくみられる植物が増えていた。同時に、オリーブの木も急減しており、これは植物栽培が廃れつつあったことを示唆している。研究チームによると、これらはすべて、この地域が定期的かつ持続的な干ばつに見舞われていた証拠だという。

◆不足と不安

 文明崩壊の最も重要な時期は紀元前1185~1130年だが、崩壊の全体的プロセスは、その前後を含めたより長い期間に及ぶとフィンケルシュタイン氏は述べる。

「気候変動が一種の“原動力”となって、その他のプロセスを引き起こしたのではないかと考えられる」とフィンケルシュタイン氏は述べる。「例えば、北部地域に住んでいた人々の集団は、農業生産の崩壊によって居住地を追われ、食物を求めて移動を開始した。彼らによって他の集団も土地を追われ、陸路と海路で移動を始めた可能性がある。そしてそのことが、微妙なバランスの上に成り立っていた地中海東岸の交易システムを崩壊させる原因となったのではないか」。

 研究チームが花粉分析から割り出した年代は、わずかに残る当時の歴史的記録とも合致する。当時の記録には、穀物の不足、交易路の崩壊、社会不安の発生、そして少ない資源を巡って人々が争うようになり、都市の掠奪が起こったことが記されている。さらに、この青銅器時代後期には、“海の民”と呼ばれる略奪集団が地中海東岸地域を襲った。

 この激動の時代は、干ばつが終わり、土地を追われた人々が再び定住するようになってようやく終わりを迎えた。

 今回の研究は今週、「Tel Aviv: Journal of the Institute of Archaeology of Tel Aviv University」誌に発表された。

Photograph by Bob Sacha, Corbis

文=Roff Smith

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