テスラに脚光、エジソンに並ぶ発明家

2013.10.18
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1900年代前半に撮影されたニコラ・テスラ。物理学者、技術者で、交流電流の発明者として知られる。

Photograph by Everett Collection Inc., Alamy
 19世紀末から20世紀初め、アメリカで活躍した電気技師ニコラ・テスラ(1856~1943年)。先見性のある著名な発明家へのオマージュとして、ニューヨーク州ロングアイランドに新しい銅像が建てられた。9月23日、研究所跡地のウォーデンクリフで行われた除幕式で、出身国セルビアのトミスラヴ・ニコリッチ大統領は、「彼のアイデアは、時代のはるか先を行っていた」と献辞を述べた。 かつての雇い主であるトーマス・エジソンの影に隠れて人々の記憶から遠ざかっていたが、テスラは才能あふれる科学者・エンジニアで、700件以上の特許を取得した電気工学の巨人だ。最も有名なのは交流電流の開発で、彼の仕事は後の無線通信、レーザー、X線、レーダー、照明、ロボット工学の発展にもつながった。 銅像が設置されたウォーデンクリフ・テスラ科学センター(Tesla Science Center at Wardenclyffe)の所長を務める元教師ジェーン・アルコーン(Jane Alcorn)氏は、「テスラに興味を持つ人が最近増えている。懸命に努力を続けている無名の人々の共感を呼ぶようだ。彼が成し得た偉業が再認識されつつある」と語る。

 2003年、イーロン・マスク(Elon Musk)氏率いる新興電気自動車メーカー、テスラモーターズが社名をこの先見性に富んだ偉大な発明者にちなんだのも、評価の高まりの表れだ。

◆才気あふれる発明家

 現在のクロアチアで、セルビア人の両親のもとに生まれたテスラは、青年時代にアメリカに渡り、最終的に帰化している。後にライバルとなるエジソンの下で働くが、やがて直流電源に固執するエジソンとたもとを分かち、実業家・発明家のジョージ・ウェスティングハウスと協働するようになる。1893年、2人はシカゴ万国博覧会の「ホワイト・シティ」で、照明とモーターの先進技術に関するデモンストレーションを行っている。1895年には、ナイアガラの滝に世界初の水力発電所を建設、テスラの発明した交流発電機が設置された。

 20世紀初頭、テスラはロングアイランドの小さな町ショアハムに、ウォーデンクリフ研究所を設立。最も野心的な実験の数々を試みた。出資したのは投資家J・P・モルガン、設計者は高名な建築家スタンフォード・ホワイト(Stanford White)だった。

 最も有名な設備はウォーデンクリフ・タワー、別名「テスラ・タワー」だ。高さ57メートルの金属格子状で、上部に巨大な球根型アンテナが乗る。自ら発明したテスラコイルを使って電力を増幅、大西洋の向こう側と無線通信を行い、送電するという当時としては桁外れのプロジェクトだった。

 実際、距離40キロの送電実験に成功しているが、資金援助は打ち切られあえなく挫折。タワーは撤去されて久しく、彼の功績を称える4分の3サイズの銅像がやっと1世紀近く後の先日、現地で除幕の運びとなった。「テスラの研究所は、もうどこにも存在しない」と前出のアルコーン氏は語る。

 この土地も、同氏が運営する非営利団体が、インターネット漫画家の支援により購入に至るまで数年の歳月を要している。

 テスラはタワー建設中に資金不足に陥り、2度も担保を差し押さえられた。コロラド州コロラドスプリングスにあった以前の研究所と同様、ウォーデンクリフの資産も借金返済のため売却されてしまう。第1次世界大戦に参戦したアメリカ政府は、ドイツ側スパイに利用される事態を恐れてタワーを爆破(1917年)。金属片はスクラップ業者に売り払われたという。以後数十年間、研究所の建物は写真ラボとして利用されていた。

 銅像の近くには現在も、コンクリートと花崗岩製の八角形のタワー土台が残っている。「地下に設置された巨大な“テスラコイル”もあるはずだが、地中レーダーで突き止める資金がまだ集まらない」とアルコーン氏は嘆く。

 アルコーン氏はいずれ研究所の建物を、テスラに関する博物館や地域の教育を担う科学センターとして公開しようと考えている。

Photograph by Everett Collection Inc., Alamy

文=Brian Clark Howard

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