アメリカの記念建造物、建設の歴史

2013.10.18
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政府機関閉鎖に対する抗議集会に参加した、13歳のケイリー・カントレル(Kaylee Cantrell)さん(左側)、シェリー・カントレル(Sherry Cantrell)さん、マイケル・カントレル(Michael Cantrell)さん。ワシントンD.C.にある第2次世界大戦記念碑の閉鎖を伝える掲示板を掲げる3人の後ろには、撤去された鉄柵が見える。この日、ケイリーさんはメリーランド州レキシントンパークから、シェリーさんとマイケルさんはテネシー州クロスビルから駆けつけた。

Photograph by Alex Brandon, AP
 政府機関が一部閉鎖されたアメリカの首都ワシントンD.C.では先週、退役軍人やトラック運転手、共和党議員など大勢の人々が首都中心部の国立公園ナショナル・モールに集結。第2次世界大戦記念碑やリンカーン記念館など、国の聖地の閉鎖に抗議する集会を開いた。 ナショナル・モールではこれまでにも、記念建造物や追悼施設に関する討議集会がたびたび開かれている。アメリカ人の誰もが英雄と認めるジョージ・ワシントンなど、勲功著しい人物や歴史的な出来事を記念するにあたって、政治家や退役軍人、一般市民もそのあり方や根拠をめぐって論争を続けてきた。

 1800年、建国の父ジョージ・ワシントンの記念墓地の設置法案が連邦議会下院に提出されたとき、1人の下院議員が「記念墓地など何の役にも立たない」と発言。彼はその後、造られたさまざまな記念建造物を指して「俗悪な誇示行為だ」と評している。

『Memorial Mania: Public Feeling in America』の著者であるアメリカ、ノートルダム大学のエリカ・ドス(Erika Doss)教授によると、この下院議員の発言以降、ナショナル・モールを中心にワシントンD.C.各所の記念建造物は、ほぼすべてが批判や異論の対象になったという。「場所や様式、費用など、あらゆる点に不満の声が上がる」とアメリカ研究の専門家であるドス教授は語る。

 一方、『Monument Wars: Washington, D.C, the National Mall, and the Transformation of the Memorial Landscape』の著者で、美術史および建築史に詳しいピッツバーグ大学のカーク・サベージ(Kirk Savage)教授は、記念建造物の設置によって自国の歴史認識が固定観念化されやすくなる点を、反対派の人々が恐れているのではないかと指摘。「記念建造物が造られた時点で、歴史的な出来事や人物に対する評価が半永久的に確定されてしまう。政治的、または民族的な論点から、民主主義社会に内在するさまざまな意見対立が表面化することになる。歴史書や伝記なら再評価や価値の転換も可能だが、箱物は一種の聖域となってアンタッチャブルな存在となってしまう」と述べる。

 ここで、ワシントンD.C.の主な記念建造物をめぐる、論争の歴史を振り返ってみよう。

◆1. ワシントン記念塔

 アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンの記念碑で、論争を巻き起こした初めての国定記念建造物。ワシントン逝去の翌1800年に設置法案が議会に提出されたが、資金不足も災いしてたちまち政治的な騒動に発展した。

 その後の1833年、記念碑を建造しようとする動きが再燃する。当初は私的な団体が資金提供し、後に連邦政府がそれを引き継いだが、オベリスクという様式に批判が集まり、またもや議論は紛糾した。「多くが煙突にしか見えないと感じたようだ。また、規模や費用についても疑問視する声が上がった」とサベージ教授。結局、完成するまでに50年以上の歳月が費やされた。

◆2. 第2次世界大戦記念碑

 第2次世界大戦に従軍、戦死したいわゆる“最も偉大なる世代”のアメリカ兵の追悼施設。ヒトラーやムッソリーニが造った建築物の“仰々しさ”を連想させるとも言われ、広大な敷地とネオクラシック様式の外観が人々の間に議論を巻き起こした。また、設置場所がワシントン記念塔とリンカーン記念館のちょうど中間点だったため、当初は計画全体が頓挫するのではないかと危惧された。

「ナショナル・モールの景観を阻害しており、ワシントン記念塔とリンカーン記念館との往復も妨げている。この辺り一帯は長い間、デモ行進や抗議集会を行う上で非常に重要な場所だったので、人々は不満を持っていたようだ」。

◆3. ベトナム戦争戦没者慰霊碑

 ベトナム戦争の戦没者追悼施設。アメリカの歴史上、最も物議を醸した戦争に関わる施設に対して、激しい議論が巻き起こるのも当然と言える。

「建設に反対する右派の中には、戦没者全員の氏名刻印を受け入れがたく思う人もいた。支払った代償の大きさと戦没者に注目が集まる一方、生還した退役軍人の存在が見過ごされていると感じたからだ」とサベージ教授は語る。後に、反対意見に歩み寄る形で、近くに国旗掲揚塔と兵士の像が建てられた。 ◆4. フランクリン・デラノ・ルーズベルト記念公園

 この記念建造物も完成までに50年の歳月を要した。公園の最終計画案に関しては、広大な用地や莫大な建設費用のほか、ルーズベルトがポリオに感染し障害を負った事実を覆い隠すような掲示に批判が集中。また、反戦論者のような印象を与える碑銘にも一部から異論が出た。

◆5. キング牧師の記念碑

 2011年に完成、白大理石に彫られた、高さ9メートルの記念碑について、まずその外見と大きさが議論を呼んだ。さらに、設計者についても論争の的になる。アメリカ人でもアフリカ系アメリカ人でもなく、中国人だったのだ。また、キング牧師の言葉を別の表現に言い換えた文章が碑銘として展示され、国民的な騒動を引き起した。

 次に議論を巻き起こしそうな記念建造物は? 現時点では、第34代アメリカ大統領ドワイト・アイゼンハワーの記念施設を建設する計画が持ち上がっている。1999年に連邦議会で承認されたが、建築家フランク・ゲーリーの設計案(大統領の孫娘によると、まるで「テーマパーク」)や、およそ140億円に上る費用などをめぐって折り合いがつかず、今のところ棚上げ状態になっている。ナショナル・モールでは既に、政府機関の閉鎖解除を見越して激しい討議が繰り広げられているという。

Photograph by Alex Brandon, AP

文=Carolyn Butler

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