ケニア襲撃事件の中のインド系住民

2013.10.08
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ケニアの首都ナイロビで行われた、ミトゥル・シャー(Mitul Shah)氏の追悼式(9月26日)。インド系ケニア人のシャー氏は、21日に発生したウエストゲート・ショッピングモール襲撃事件において、子どもの身代わりに銃弾を受けて命を落とした(享年38歳)。

Photograph by Zhang Chen, Xinhua/Eyevine/Redux
 ケニアの首都ナイロビにある巨大ショッピングモール「ウエストゲート」の1階に、「アートカフェ(ArtCaffe)」という高級なコーヒーショップがテナントとして入っていた。ナイロビで成功したビジネスマンたちの御用達だったが、その多くは黒人ではなくインド系だ。ケニアには古くからインド人が大勢移住しており、母国を除く最大のインド人コミュニティーを形成している。 国内では少数派のインド系ケニア人は、大小さまざまな規模にわたるケニア経済を握っており、都市部の不動産のほとんどは彼らの所有だ。ナイロビの店に入ると、たいていの場合は、インド系が店主としてレジの後ろに構え、黒人が棚に商品を並べている。また、インド系の家では、黒人が使用人として働いている。黒人貧困層の中には、インド系を依然として「侵入者」とみなし、「経済的植民地主義」と考える者も少なからずいる。

 だが、9月21日午後0時15分、アートカフェの隣の駐車場にライフルを構えた一団が現れ、車や通行人を狙い打ちし始めたとき、この緊張関係を緩和する運命の歯車が回り始めた。

◆インド系ケニア人のルーツ

 イギリス人の探検家ジョン・カーク(1832~1922年)が、「東アフリカに築かれたイギリスの確固たる地位は、正にインド人商人たちのおかげである」と述べたように、イギリスがケニアを植民地化した際には、大量のインド人がほぼ奴隷のような条件で連れてこられた。

 現在は「ツァボ国立公園」の一部であるツァボ川の架橋工事では、多数の労務者が「人食いライオン」の餌食となった。結局、ウガンダ鉄道建設(1896~1903年)に従事した約3万2000人のインド系移民のうち2500人が死亡、病気や事故で6500人が使い捨てられた。

 甚大な犠牲の下に鉄道が完成し輸送網が整備されると、インド人も活動の場を広げていった。1905年には、ケニアの事業の80%をインド系が掌握していたと推定されている。

◆「反インド人」の反動

 しかし、やがて反動がケニアのインド人を覆うようになる。「ケニアのインド人問題」が植民地統治の不安材料となり、「反アジア人政策」が導入される。

◆インド人の権利

 ケニア独立後も、インド系移民は「恨み」の対象となった。1964年、独立の闘士ジョモ・ケニヤッタは、植民地時代に逮捕された際にインド系弁護士などから援助を受けておきながら、釈放され初代大統領に就任した途端、インド系ケニア人所有の事業を奪い、黒人系ケニア人に分配する政策を実行した。

◆最悪の時代

 1978年、第2代大統領ダニエル・アラップ・モイの就任後は、独裁的な体制の中、ケニア経済も停滞、インド系ケニア人も最悪の時代を迎える。1982年のクーデター未遂事件の際には、インド系ケニア人の店で略奪が相次いだ。

 2002年の政権交代後は、状況が改善していく。高等教育を受けた黒人系ケニア人の中からも新世代の起業家が登場するようになり、インド系移民の成功も「恨み」ではなく「称賛」の対象とみなされるようになった。ただし、このような傾向はごく一部の上層階層に留まり、依然として黒人系貧困層の中にはインド系移民を敵視する者が多い。

◆無私無欲の勇気

 9月21日に発生したウエストゲート・ショッピングモール襲撃事件は、最悪の悲劇だった。しかし、人種間の「恨み」を緩和する可能性を秘めており、一縷の希望を見いだせるかもしれない。ケニア独立以降、インド系と黒人系が協力して事に当たったのは、ほとんど初めてと言っても過言ではない。

 テロリストの襲撃直後、丸腰でショッピングモールに救出に向かうインド系ケニア人の数は、武装警察官の数を上回っていたといわれている。

 近くの大学病院からは医者と医学生が駆けつけ、インド系の店主は自分のトラックを一時的な救急車として提供。付近に住むインド系住人が食べ物と飲み物を家から運びだせば、ショッピングモールから道路を挟んで向かい側にあるインド系のジャイナ教の寺院では、信じられないほどの迅速さでトリアージセンター(臨時救護施設)が設営された。寺院のボランティアは、兵士や警察官、レポーターなどに食事を提供、事件後もカウンセリングの取り組みを行っている。

 ウフル・ケニヤッタ大統領は、今回の襲撃事件によってケニアの危機管理体制の弱さが露呈したことを認めており、あろうことかモール店舗の金品やアルコール類の略奪に走っていた、事件制圧中の警察や治安部隊の醜態も明らかになっている。

 一方、一般市民たちは銃撃が続く中、人種に関わらずけが人を救出し、遺体搬出に力を合わせた。そこに、インド系ケニア人と黒人系ケニア人の区別は存在しなかった。この日、両者を隔てる壁が一瞬の内に取り払われたのだ。

Photograph by Zhang Chen, Xinhua/Eyevine/Redux

文=James Verini in Nairobi

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