ケニアのモール襲撃、原因はソマリア

2013.09.26
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ソマリアのアル・シャバーブの聖戦士たち(2008年11月4日)。今月、ケニアの首都ナイロビのショッピングモールが襲撃された事件では、アル・シャバーブが犯行声明を出している。

Photograph from AP
 ケニアの首都ナイロビのショッピングモール、ウエストゲート(Westgate)が襲撃されて4日目、ウフル・ケニヤッタ大統領は武装グループの制圧を宣言した。政府発表によれば、少なくとも民間人62人の死亡が確認され、175人以上が負傷しているという。 ソマリアのイスラム過激派組織アル・シャバーブはツイッターで犯行を認め、ケニアの軍事行動に対する報復だと述べている。

 ケニアでのテロ事件にはいくつもの前例がある。この10年、アル・シャバーブとつながりのあるグループが、同国をはじめとする東アフリカで何度もテロ攻撃を実行している。

 カナダ王立軍事大学政治経済学部の准教授クリスチャン・ロイプレヒト(Christian Leuprecht)氏は、「隣国ケニアの日常は、ソマリアでの出来事と無縁ではいられない」と語る。紛争が続く“アフリカの角”を中心に、東アフリカのテロの歴史を紐解いてみよう。

 世界の最貧国の1つで、紛争が国を引き裂いたソマリアは、“破綻国家”の典型としてしばしば政治学者に引き合いに出される。モハメド・シアド・バーレ(Mohamed Siad Barre)の長期独裁政権が1991年1月に崩壊した後は、無政府状態に陥り、軍閥や派閥が覇権を争い始めた。

 2000年代前半、イスラム原理主義者の派閥、イスラム法廷会議が勢力を拡大。アル・シャバーブは同年代半ばに分離した過激派で、後にアルカイダと同盟関係を結んだ。2006年にエチオピアがソマリアに侵攻、首都モガディシュからイスラム法廷会議の排除を試みると、アル・シャバーブは急激に支持を得て、支配圏を拡大した。その後、国土の南部のほとんどを掌握。

◆ソマリアの紛争がケニアやウガンダに波及

 ケニアとソマリアは、650キロ近く国境を接している。20年間続く難民の流入に音を上げたケニア政府は、隣国の安定を取り戻す必要性を認識。国際的に承認されたソマリア暫定連邦政府を自国に迎え、ヨーロッパ諸国によるソマリア軍の訓練施設も受け入れている。

 2009年にエチオピア軍がソマリアから撤退し、アフリカ連合の平和維持軍が進駐。ウガンダ部隊指揮下の平和維持軍は暫定連邦政府をいくらか援護したが、南部のほとんどをアル・シャバーブに委譲するに至る。

 アフリカ連合がソマリア紛争に介入した報復としてアル・シャバーブは2010年、ウガンダの首都カンパラに一連の攻撃を敢行。74人の命が奪われた。

 2012年半ば、ケニア軍(名目上はアフリカ連合の指揮下にある)は、ソマリア南部のアル・シャバーブに対して攻撃を開始。重要な港町キスマヨを含むいくつかの地域で、暫定連邦政府の統治権を回復した。アル・シャバーブにとって、キスマヨは経済の中心地であり、政治拠点でもあった。

 支配圏と経済資源を失ったアル・シャバーブは、その報復としてウエストゲートの襲撃に至った可能性が高い。

◆過去にもテロの波が

 ケニアで起きた最悪のテロ攻撃は1998年に遡る。8月7日の首都ナイロビのアメリカ大使館爆破事件だ。アルカイダの下部組織による計画的な犯行で、タンザニアの旧都ダル・エス・サラームのアメリカ大使館も標的にされた。犠牲者は合わせて234人、ナイロビだけで223人に上った。

 ソマリア介入以前のテロ攻撃は、イスラエル人やその所有物を狙ったケースがほとんどだった。

 1980年、アラブのテロ組織がナイロビのノーフォーク・ホテル(Norfolk Hotel)を爆破。20人が犠牲となり、80人が負傷している。1976年、ウガンダのエンテベ国際空港ハイジャック事件で人質救出の際に、イスラエル軍の燃料補給を認めたケニア政府への報復だった。

 2002年11月28日には、ソマリア、アルカイダとつながりを持つイスラム過激派が、ケニアのモンバサにあるイスラエル資本のパラダイス・ホテル(Paradise Hotel)を爆破する。13人が死亡し、80人が負傷。さらにほぼ同時刻、ケニア上空を飛行中だったアルキア・イスラエル航空(Arkia Israeli Airlines)のボーイング757型航空機に向けて、地対空ミサイルが2度発射される。幸いにも命中に至らず、航空機は無事イスラエルに向けて飛行を続けたという。

Photograph from AP

文=Michael Lokesson

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