エジプトの首都カイロで、デモの参加者と相対する共和国警備隊。

Photograph by Ed Giles, Getty Images
 2013年7月3日、エジプトで軍部のクーデターが発生。ムハンマド・モルシ大統領が解任された。2年前に続く政変で、再び国軍が自国内で強大な影響力を維持していることを示す形となった。 軍部は2011年にもクーデターを主導、長らく政権の座に就いていたホスニ・ムバラク大統領を解任に追い込んでおり、当時この事件は、アラブ中で巻き起こっていた大規模な反政府運動「アラブの春」における最も劇的かつ重要な政変と言われていた。

 7月3日、軍最高司令官アブドル・ファタ・アル・シシ国防相は軍の最高評議会で、2005年までムスリム同胞団の議員団長を務めていたモルシ大統領に対する最後通告を表明、同大統領を解任に追い込んだ。街頭を埋め尽くしているデモ参加者の要求に応え、野党の発言力を高めたより健全な政府を構築しないと、大統領は退陣を余儀なくされることになると告げていたという。

 2年前にムバラク政権を打倒してから、軍部は自ら国家の安定を担う保証人に見立て、民衆が苦労して獲得した自由を中立の立場で守っていくという方針を明確にした。モルシ大統領の解任後、膨大な数のデモの参加者が革命の守護者として軍を称賛しているという。

 しかし、これほどまでに影響力を拡大しているエジプト軍部の背景は単純ではない。市民社会との歴史的な関係性は、愛国心と自己利益、勝利と敗北が複雑に入り混じっている。

◆独立、革命、敗北

 1922年に独立を果たしたエジプト王国だが、旧宗主国イギリスはその後25年間、自国の兵士を配置して間接的な支配体制を続けてきた。

「2つの世界大戦を挟んで、エジプト軍部の影響力は比較的弱かった」とアメリカ、スタンフォード大学で中東の歴史を研究しているジョエル・ベイニン(Joel Beinin)教授は話す。「実質的な支配権はイギリスが握っており、当時のエジプト軍に渡り合えるだけの実力は無かった」。

 第ニ次世界大戦中は少数のエジプト軍兵士がイギリス側に立って戦ったが、民衆との結び付きはほとんどなく、政府への影響力もかなり限られていた。 状況が変わったのが1948年である。

 イスラエルが建国され、アラブ諸国とイスラエルとの最初の戦争である第一次中東戦争が勃発した。何度かの短い停戦を挟み、やがてアラブ諸国の連合軍がイスラエル軍に撃退されてしまう。

「エジプト軍の歴史は、アラブ諸国とイスラエルの紛争との関連で大部分が形作られている」とカリフォルニア大学バークレー校の中東研究学部の学部長を務めるナザール・アッサッヤード(Nezar Al-Sayyad)氏は話す。

 イスラエルとの戦いに敗れ、参戦を決めた当時のエジプト君主、ファールーク国王の権威が失墜、エジプト軍は敗北の責任は国王にあるとして糾弾した。1952年にはガマール・アブドゥン・ナーセル率いる自由将校団がクーデターを強行。軍部による王制打倒(後のエジプト革命)によって、現代のエジプトの共和制の基礎が形作られることとなった。

 クーデター後は、強いカリスマ性で国民の支持を集めたナーセルの指揮の下、強力な軍隊を目指して近代化を進める。しかし思うように運ばなかった。

 北イエメン内戦(1962~1970年)の際に軍部は、イエメン・アラブ共和国政府軍を支援するためにイエメンに遠征部隊を派遣。多大なコストを支払うことになった。その後の1967年、アラブ諸国とイスラエルとの間で第三次中東戦争(通称「六日戦争」)が勃発。連合軍を指揮したナーセルがイスラエル軍に大惨敗を喫し、エジプト支配下だったシナイ半島を奪われてしまう。

 一連の失敗によって軍部の信用は地に墜ちる。「シナイ半島からの撤退の際には、装備を放り出して多数の兵士が逃げ帰ってきた。民衆の間では、軍は嘲笑の的でしかなかった」とアッサッヤード氏は言った。

◆復権と拡大

 1970年のナーセル死去の後、クーデターの同志アンワル・アッ・サーダートが後を引き継ぐことになる。まず副大統領に就任したサーダートは、ナーセル派関係者を粛清、政治・経済政策を転換し、六日戦争で疲弊していたエジプト軍の再編に取り組む。

 1973年10月には、第四次中東戦争で軍を率い、シナイ半島の奪還を狙った。

 3週間後にイスラエル優勢のまま終結したが、エジプト軍は開戦時に多大な戦果を挙げた。1978年には、サーダートとイスラエル首相メナヘム・ベギン、そしてアメリカ大統領ジミー・カーターとの間で交わされたキャンプ・デービッド合意を経て、シナイ半島はエジプトに返還されることとなった。

 この成果によってイスラエルの無敗神話は崩れ去り、エジプト軍は国益を守る力を備えた軍隊としての信頼回復を遂げた。

 1981年のサーダート暗殺後は、元空軍大将のムバラクが大統領に就任。この頃から軍部はアメリカの支援を受けて近代化を推進し、軍事力を拡大させていった。1990年代にムバラクが経済自由化を推し進めると、アメリカの軍事支援を上回る“配当”を求めるようになる。資本主義への接近である。

「エジプト軍は経済の自由化以降、利益を追求する“企業”のような組織になった」とアッサッヤード氏は言う。

 資産価値の高い多数の不動産を所有し、兵士を安価な労働力として徴用、ビジネスを通じて徐々に市民社会に対する影響力を拡大させていく。パン工場から化学プラント、ホテルにいたるまで、保有株式はさまざまな範囲に及んでいた。

 アッサッヤード氏によると、エジプトでは軍が保有する官民合同企業がGDPの15~20%を占めており、軍関係者には強大な資本力に基づいた厚遇が保証されているという。軍の経済力が社会全体に浸透していくにつれ、市民社会への影響力も強まっていったのである。

◆軍隊の目的

「エジプト人の多くは、国益を守るために行動する軍隊だと信じている」とベイニン氏は話す。「しかし近年では国民の期待を良いことに、自分たちの利益を第一に考える組織に変貌してしまった」。

 7月4日、モルシ大統領を解任に追い込んだシシ国防相は、「軍隊の目的は国民の願いを叶えることだけだ」と述べた。しかし愛国心からの政治介入なのか、軍上層部の自己利益によって動いているのか、それとも両方を狙っているのか、いずれ歴史によって明らかになるだろう。

Photograph by Ed Giles, Getty Images

文=Anna Kordunsky and Michael Lokesson