バビロンの空中庭園はやはり伝説?

2013.06.05
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ニネベの巨大な壁のそばに立つ男性。

Photograph: National Geographic
 複数の歴史書で語られるバビロンの空中庭園だが、遺跡発掘には至っていない。しかし、バビロン以外の可能性を探る研究者も存在する。 イギリス、オックスフォード大学でアッシリア学の研究を行うステファニー・ダリ―(Stephanie Dalley)氏 によれば、世界の七不思議として有名なバビロンの空中庭園は、古代都市バビロンから550キロほど北上したニ ネベにあったという。現在のイラク、モスル近郊、ティグリス川のほとりだ。

 今夏に『The Mystery of the Hanging Garden of Babylon』(バビロンの空中庭園の謎)の出版を予定してい るダリー氏は、史料の不正確な翻訳が混乱を招いたと書いている。長年の発掘作業にも関わらず、伝説の庭園が 存在した確かな証拠が見つかっていない理由も同じ原因からと言う。バビロンはユーフラテス川を中心に栄えた バビロニアの首都で、現在のバグダッド近郊に広がっていた。

 空中庭園の存在自体に疑問を投げ掛ける歴史学者も少なからずいる。大英博物館で古代くさび形文字資料の学 芸員を務めるアービング・フィンケル(Irving Finkel)氏は1988年、「バビロンの空中庭園は未だ確認されて いない、もうそろそろ架空の存在と認めるべきだ」と記している。

 ダリー氏は空中庭園の建造者を、アッシリア王センナケリブ(在位:紀元前704~681年)と考えている。ニネ ベに首都を置き、65キロほど離れた丘から水を引くなど、大規模な水道システムを整備した王で、灌漑や造園の 才能を知らしめる碑文がいくつも残る。アメリカ、ハーバード大学で人類学、考古学の研究を行うジェイソン・ ウール(Jason Ur)氏は、「センナケリブの碑文は特に、壮大な用水路のネットワークについて誇らしげに語っ ている。また、豪華な庭園や公園と結び付けられている場合が多い」と話す。

 一方、歴史書でも名が上がっているバビロニアの王、ネブカドネザル2世は、バビロンでの偉業を記した碑文 が多数残っているにも関わらず、庭園には全く言及していない。

◆どこかに埋まっている可能性も

 ただし、メソポタミアの専門家すべてが、ニネベに空中庭園が存在したと考えているわけではない。証拠不足 を理由にバビロンを否定する説に、異を唱える者もいる。

 シカゴ大学オリエント研究所に所属するメソポタミア考古学の教授マグワイア・ギブソン(McGuire Gibson) 氏によれば、バビロンにも空中庭園に適した場所が1つあるという。南の砦(Southern Citadel)がそれで、 「川のすぐほとりに巨大な壁がそびえ立っている。水の利用も容易な唯一の場所だ」。この辺りに庭園があれば 王家の居住区からも近いとギブソン氏は説明する。「当時の技術でも、高いところまで水をくみ上げるのは可能 だったはずだ」。

 いずれにせよ、当面はニネベでの発掘作業は期待できず、論争が収束することもないだろうと、ダリー氏は話 す。モスル近郊では、イスラム少数勢力のスンニ派と、シーア派率いるイラク政府の間で争いが続き、発掘作業 の安全は保障されない。また、現地では略奪が横行し、サダム・フセイン時代は軍が基地として使用していたた め、すでに空中庭園の痕跡は失われてしまった可能性も大きい。

Photograph: National Geographic

文=Elizabeth Snodgrass

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