マヤ文明の起源に迫る祭祀跡を発見

2013.04.26
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グアテマラのセイバルにあるマヤ遺跡、A-24の作業場から紀元前1000年頃の基礎部分まで発掘する考古学者チーム。

Photograph courtesy Takeshi Inomata
 あまたの文明は栄枯盛衰の理をあらわすものだが、それぞれの起源は曖昧で、ほとんど未解明の場合も多い。最近、マヤ文明に関して新たな論文が発表され、謎に包まれた初期時代に驚くべき光が当たっている。 メソアメリカのマヤ低地の古典期(西暦300~950年)は考古学でよく扱われるテーマだが、先古典期前半(紀元前1000年以前)についてはほとんど知られていない。考古学者の立場は、「マヤ文明はより古い“母なる文化”であるオルメカ文明から直接発展した」という説と、「マヤ文明は独自に登場した」という説に二分されている。

 アリゾナ大学の人類学者、猪俣健教授はどちらの説にも異議を唱える。ナショナルジオグラフィックの研究助成金を受ける同氏は、グアテマラのセイバル遺跡の調査で、より複雑な起源を示す証拠を発掘した。

◆初期の宗教施設を発見

 マヤ文明は堂々とした建築物でおなじみだ。巨大なピラミッドや広場は、複雑で魅力的な文化が存在した証である。「マヤ」という言葉を聞くと、着飾った王や聖職者が、ティカル遺跡のようなピラミッドの長い急な階段を昇っていく姿を想像する人も多いだろう。

 しかし、ピラミッドも複雑な文化も一朝一夕には生まれない。猪俣氏のチームは、成立過程を調べるためセイバルの巨大建築の地下を発掘した。

 同氏は「現在残っている象徴的な古代建築は、同様の目的をもったそれ以前の施設の上に立っている」と推測していたが、その仮説は正しかった。石のピラミッドの下に土造りのやや小さな基礎部分が見つかり、セイバルの宗教施設が紀元前1000年頃にさかのぼることがわかったのだ。

 マヤ発展の初期に宗教施設が存在したとすれば、定住型の生活様式で、高度な農業や宗教、階層社会があったことが示唆される。それらの要素がまとまって一つの文化となり、より大きな文明の起源になるという。

◆オルメカ文明とのつながりを再定義

 従来の説では、現在のメキシコ湾沿岸に近いラ・ベンタ遺跡などでオルメカ文明が築かれていた頃、後のマヤ文明につながる人々は、その東部や南東部のジャングルでゆるやかな遊牧民の集団生活を送っていたと考えられている。マヤ文明は、農業や社会構造などの文明全体を、オルメカから直接引き継いでいるという説だ。

 しかし、猪俣氏の調査で、オルメカの方が文明として古いわけではないことが判明した。実際には、セイバルはラ・ベンタより2世紀も前にさかのぼる。一方で、オルメカ文明にはラ・ベンタやセイバルより古い都市もあり、それらの都市がマヤ文明と交流があったとは考えられない。

「だからと言って、マヤが独立して発展したわけではない」と猪俣氏は話す。むしろ、影響には両方の流れがあるという。この地域全体で大きな文化的変化が起きる中で、ラ・ベンタとセイバルは並行して発展した。「地域全体に広範な交流の歴史があり、その交流を通じて、新しい形の社会が発展した可能性が高い」。

 今回の調査は、「Science」誌に4月26日付けで発表された。

Photograph courtesy Takeshi Inomata

文=Nicholas Mott

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