史上初、クマの脳外科手術

2013.04.18
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ラオスの山岳地帯に暮らすメスのツキノワグマ、チャンパ(Champa)。世界で初めて脳外科手術を受けた。

Photograph courtesy Matt Hunt
 ラオス北部の山岳地帯に暮らす3歳のツキノワグマ(メス)が、世界で初めて脳外科手術を受けた。 ラオス当局によって密売人から保護されたチャンパは、後にオーストラリアの非営利団体フリー・ザ・ベアズ(Free the Bears)が運営するラオス国内の保護区で暮らすようになった。ツキノワグマは国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストで絶滅危惧II類(危急)に分類されているが、胆嚢(熊の胆=くまのい)が中国や韓国で漢方薬の材料として珍重され、密売の対象になっている。

 彼女は、保護された子どものころから目立つ存在だった。前額部に隆起があり、保護区のクマ社会に溶け込むことができなかったという。次第に発育が鈍化し、視力が衰え、異常行動が増えていった。

 保護区のスタッフと獣医は「水頭症」を疑った。脳脊髄液の循環不良や過剰生産によって髄液が頭蓋腔内に溜まる、人間も発症する病気だ。

「意識が飛ぶほどの持続性片頭痛に悩まされる」と、南アフリカ共和国出身の獣医師、ロメイン・ピッジ(Romain Pizzi)氏は説明する。西側諸国では、発病した野生動物を安楽死させるケースが多い。しかし、敬虔な仏教国ラオスでは、同じ処置が野生動物保護法で禁止されている。

 そこでフリー・ザ・ベアズが呼び寄せたのがピッジ氏だ。イギリス、スコットランドのエディンバラ動物園と国立野生生物レスキュー・センターに勤務する有能な獣医で、頭に開けた小さな穴から顕微鏡を使って行う「鍵穴手術」に長けている。

 クマやアザラシ、トナカイ、ジャガーなど多くの動物の手術経験があるピッジ氏だが、クマの脳外科手術は前例がない。このまま苦しみながら死んでいくチャンパを考えれば、高リスクは承知の上で「何もしないよりはまし」という判断が下された。

◆施術

 ピッジ氏はまず小児外科医に助言を求め、ツキノワグマの頭蓋骨や脳組織、水頭症のカワウソやキツネの脳についても、資料やレプリカを取り寄せ研究したという。ただし、ラオスにはMRI(核磁気共鳴画像法)装置がなく、実際に手術を始めるまで、水頭症の診断を確定できなかった。

 6時間の予定で、2月25日の午前中に手術は開始された。まず鎮静状態のチャンパの耳の後ろに小さな穴を開け、超音波探触子(超音波プローブ)を挿入。水頭症と断定した上で、脳室に細い管を差し入れ、カメラ映像を見ながら皮下を通して腹部までつないだ。これで、余分な脳脊髄液が腹腔へ排水されるようになる。腹腔の髄液は、すぐに血管に吸収されるので問題はない。

 手術は午後4時に終わったが、その日は徹夜で容態を見守ることとなった。フリー・ザ・ベアズの最高責任者マット・ハント(Matt Hunt)氏によると、翌朝8時までに意識を取り戻したチャンパは、生まれ変わったような姿だったという。手術前は腫れ上がった頭部が重く垂れ下がっていたが、術後は顔を上げて保護区のスタッフをまっすぐ見られるようになった。

 ピッジ氏にクマの脳外科手術を再び行う予定は今のところないが、農場から救出したクマの胆嚢手術は既に数回行っている。漢方薬業界では胆汁の需要が依然高く、農場では生きたクマから採取しているのだ。汚れたカテーテルや針を使い回すため、胆嚢が感染症を引き起こすケースが多い。

 鍵穴手術は人間の医療では一般的だが、ピッジ氏など獣医師は動物にも応用すべきと考えている。回復の早期化や感染症のリスク低下といったメリットがあるからだ。開頭手術と異なり、術後に引っ掻いたりして傷跡が開くことがほとんどなく、通常の生活への復帰が極めて早い。ただし高コストで、専門的な訓練や継続的な研修も必要なので、野生動物に施術できる獣医はほとんどいない。

「人間も動物も同じだ。手術を施すたびに技量が磨かれ、以後のリスクを抑えることができる」と、ピッジ氏は話す。希少種の場合は、1頭の損失から絶滅につながる可能性があり、医療ミスのリスク低下は死活的だ。

◆頭痛よさらば

 術後6週間経過し、チャンパは極めて活発に動き回り、他のクマとも交流できるよう回復した。体重も増えているという。髄液の蓄積により、今後もある程度の脳の損傷は免れないが、保護区にいる限り安心して暮らすことができる。

 ピッジ氏は次のように話している。「1頭の命を救っても、種の絶滅を回避できるわけではない。ささやかな貢献だが、チャンパの生活は大きく改善されたと思う」。

Photograph courtesy Matt Hunt

文=Michelle Nijhuis

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