ベネディクト16世の教皇退位後の住居、マーテル・エクレジエ修道院(写真右)。

Photograph by Alessandra Tarantino, AP
 2月11日、高齢を理由にローマ教皇ベネディクト16世が2月28日での退位を表明した。突然の発表に驚きの声も多かったが、バチカンの動向に詳しい人は、数カ月前から何らかの気配を感じていた可能性がある。2012年11月、バチカン庭園内にあるマーテル・エクレジエ(教会の母)修道院で生活していた修道女らが、残り2年の滞在期間を繰り上げて退去していたからだ。同修道院はその後、改装工事で閉鎖が続いている。 退位の発表後に行われた記者会見で、ローマ教皇庁広報部の報道官フェデリコ・ロンバルディ神父は、マーテル・エクレジエ修道院がベネディクト16世の住居になると明らかにした。

 工事が終わるまでは、バチカン宮殿と教皇の別荘で暮らす予定という。ちなみに別荘は、ローマの南東約24キロに位置する湖畔の町カステル・ガンドルフォにある。

 バチカン市国のWebサイトによると、前教皇のヨハネ・パウロ2世は、「世界各国の女子修道会に、バチカンでの観想生活を送る場所を提供する」ために1992年、マーテル・エクレジエ修道院を開設した。

 同修道院では、いくつもの女子修道会が5年交代で生活を送ってきた。修道女たちの主な役割は、ラテン語による祈りとグレゴリオ聖歌の詠唱を通じて、ローマ教皇およびローマ・カトリック教会全体を精神的に支援することにある。

 また、教皇が身に着ける法衣の刺しゅうや、住居の隣にある果樹園での果物の有機栽培、バラ園の管理も彼女たちの仕事だった。バチカンの「L'Osservatore Romano」紙が2009年に行ったインタビューで当時の修道院長は、果樹園で摘み取ったオレンジとレモンで特製のマーマレードを作ったところ、ベネディクト16世がいたく気に入ってくれたと話している。

 ベネディクト16世がいつまでマーテル・エクレジエ修道院で暮らすのかは不明だが、3月に行われるコンクラーベ(新しいローマ教皇を選ぶ会議)には参加しないという。ロンバルディ神父は、「今回の退位によって混乱や分裂が生じる事態はない」と強調する。

 また、ベネディクト16世の今後のタイトルについても未定という。ローマ教皇を退位した人物に対して適用される規定や与えられる権限、タイトルについては、教会法で定められておらず、前例も見当たらない。

◆生前に退位した歴代のローマ教皇

 カトリック教会の歴史上、自らの意志で、あるいは強いられて退位したローマ教皇はごくわずか。直近の事例は、およそ600年前の1415年にさかのぼる。

 アメリカ、アラバマ州にあるジャクソンビル州立大学の准教授で歴史学が専門のドナルド・プルードロ(Donald Prudlo)氏は次のように語る。「時のローマ教皇グレゴリウス12世はコンスタンツ公会議において、新たな教皇を選出して教会大分裂(大シスマ)を収拾できるよう、退位に同意した」。

 また、1294年には、選出されてわずか5カ月のケレスティヌス5世が退位している。ベネディクト16世によく似た例として、イタリアをはじめ各国のメディアが引き合いに出す人物である。

「13世紀末、結論に至らぬまま3年近くも続けられたコンクラーベに決着を付けるため、ピエトロという名の敬虔な隠遁修道士がローマ教皇に選ばれた。それがケレスティヌス5世だ」とプルードロ氏は説明する。「高徳な人格ゆえにほぼ満場一致で選ばれたのだが、元来が隠遁者であるせいか、教皇庁のさまざまなやり方に馴染めず、教皇の職務には向いていないと自ら悟ったようだ」。

 退位したケレスティヌス5世は再び隠遁生活に戻り、1296年に死去した。一説には、彼の後を継いだボニファティウス8世の所有する城に幽閉されていたとも言われる。

 ダンテの「神曲・地獄篇」に登場する人物としても広く知られており、死後の1313年には聖人に列せられている。

 ベネディクト16世は2009年に、イタリア中部の町ラクイラにあるケレスティヌス5世の墓を訪れ、その上に自身のパリウム(ローマ教皇の権威を象徴する祭服)を捧げた。今から考えると、自らの退位を暗示する振る舞いだったのかもしれない。

Photograph by Bram Budel, Hollandse Hoogte/Redux

文=Michele Gravino