古代メキシコの神殿で大量の頭蓋骨発見

2013.01.08
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メキシコの首都、メキシコシティ近郊の神殿で発掘された大量の頭蓋骨。

Photograph by Christopher T. Morehart
 メキシコ中央部にある古代神殿から、150以上の頭蓋骨が発掘された。先史時代のメソアメリカで生贄になったと推定されており、一度に出土した数としては最大規模となる。 頭蓋骨は、砕けた岩を積み上げた小山の下に埋められており、多くは東を向くように配置されている。この地域の土壌は現在は完全に乾燥しているが、かつては浅い湖が大きく広がっており、小山は湖の中の人工島の上に築かれていた。

 発掘チームのリーダーで、アメリカにあるジョージア州立大学の考古学者クリストファー・モアハート(Christopher Morehart)氏は、「現場は人里離れた何もないところで、埋葬所だけわずかに地平線から隆起していた」と話す。大量の生贄が見つかる場所といえば、宗教の聖地中心部に置かれた雄大なピラミッドが付近に存在するはずだ。

 発掘現場は、古代の湖の名を取ったシャルトカンという町のそばにある。大量の生贄の出土から、この地は650~800年の政治的動乱の時代に重要な役割を果たしていたと考えられる。現場からわずか15キロほどのところに、かつての巨大都市テオティワカンがあったが、同じ時期に突然崩壊を始め、周囲がひれ伏していた圧倒的な専制支配は跡形もなく消え去る。この大変動は、大規模な干ばつが引き金だったという説が一般的だ。

「その後は、政治・文化に限らず人々の暮らしも、すべてが激動の渦に巻き込まれていった」とモアハート氏は話す。人々はテオティワカンを離れ、周辺地域に移動。新しいコミュニティーが形成され、新しいリーダーたちが権力をめぐる争いを始めた。「発見された生贄は、この時代の権力闘争に関係している可能性が高い」。

 あるいは、戦争の捕虜だった可能性もある。古代メソアメリカでは、生贄として捧げられた捕虜が多かった。ただし、現地が戦場だった可能性は低く、完全に儀式用の聖なる領域と考えられている。

 テオティワカンが没落する前、この地域の人々は、極めて緻密な踊りの儀式を神殿で行っていたらしい。ただし、当時は人間の生贄を捧げることはなかった。「水に囲まれ、淡水の泉も近くに存在した。この神殿では、雨と豊穣をつかさどる神に祈りを捧げていたのだろう」。発掘品の中には、メソアメリカ文明で広く信仰された雨の神「トラロック」と思われる粘土細工も見つかっている。

 しかし、しだいに土地が干からび、権力闘争が激化する中、儀式の中に生贄が組み込まれるようになる。モアハート氏らによると、体はバラバラに切り刻まれて、湖に投げ込まれた可能性が高い。発見された頭蓋骨は丁寧に並べて埋葬されていた。儀式の最中には香がたかれ、松やにをたっぷり含んだ松の木も燃やされた。煙と香りが広がる中、さまざまな花が供えられ、さらなる香気が漂う。捧げ物として、焼いたトウモロコシなどの食料も添えられた。

 その後、数世紀が過ぎると、新たな人々がこの地に到達し、権力を握る者は移り変わっていった。しかし、神殿の神聖さはいつの時代も変わらなかった。発掘チームの調査により、アステカ文明時代や植民地時代でも儀式が行われたことが判明している。もっと最近の捧げ物さえ見つかっている。

「掘り進めていくと、黒色のビニール袋が見つかった。中には、固ゆで卵、黒色のろうそく、人の写った写真が入っていた」とモアハート氏は語る。「社会・政治的、また文化的な面で劇的に変化していっても、同じ場所で儀式行為が続いているという点は非常に興味深い」。

Photograph by Christopher T. Morehart

文=Linda Poon

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