セントラリア、50年燃え続ける炭鉱

2013.01.21
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アメリカ、ペンシルバニア州道61号線の閉鎖区間で、道路に入った亀裂から蒸気が立ち上っている。この道はかつて、セントラリアを南北に貫く主要道路だった。セントラリアは巨大な無煙炭の埋蔵地で、かつては炭鉱の町として栄えていた。しかし、火力発電所や製鉄所では歴青炭に押され、家庭暖房が石油に切り替わると需要が急落し、廃坑に追い込まれた。石炭会社は撤退し、放棄された炭鉱で火災が発生した。1962年、炭鉱の跡地にあったゴミ集積所で出火し、むき出しの炭層に引火。炎は地下の炭鉱まで広がり、消火活動もむなしく火勢は収まらなかった。1960年代後半までには、有毒ガスが住宅に侵入し始める。1983年に連邦議会はセントラリア住民の移転を決め、多くは近くの町に移り住んだが、自宅にとどまった住民もいた。現在も5人がセントラリアに、5人が隣町カニンガムに住み続けている。

Photograph by Don Emmert, AFP/Getty Images
 アメリカ、ペンシルバニア州道61号線の閉鎖区間で、道路に入った亀裂から蒸気が立ち上っている。この道はかつて、セントラリアを南北に貫く主要道路だった。 セントラリアは巨大な無煙炭の埋蔵地にまたがり、かつては炭鉱の町として栄えていた。ペンシルベニア州北東部はアメリカで唯一の無煙炭の産出地で、産業革命を大きく下支えした。20世紀に入ると、“硬い”石炭とも呼ぶ良質の燃料として家庭暖房に利用された。しかし、石炭火力発電所や製鉄所で重宝された“軟らかい”歴青炭と異なり、無煙炭は1950年代までに廃れてしまう。消費者のほとんどが石油暖房に切り替えたためだ。産出地では炭鉱が閉鎖され、石炭会社は撤退。放棄された炭鉱で火災が発生した。

 1962年のメモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)直前、炭鉱の跡地にあったセントラリアのゴミ集積所で火の手が上がり、むき出しになっていた炭層に引火。炎は地下の炭鉱まで広がり、周囲の住宅地を脅かした。消火活動を始めたものの、もはや手遅れで、火勢は収まらなかった。1960年代後半までには、有毒ガスが住宅に侵入し始め、生活が困難になるという事態に発展。

 1983年、連邦議会はセントラリアの町を丸ごと移転させるため、4200万ドル(約38億円)の予算を計上。多くは近くの町に移り住んだが、自宅にとどまる選択をする住民もいた。現在も住み続けているのは10名で、5人がセントラリア、残りの5人が隣町カニンガムとなっている。

Photograph by Don Emmert, AFP/Getty Images
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