「あるカップには、上品な象形文字で“若い王子のカップ”と書かれていた」と発掘に参加したドイツ、ボン大学の人類学者ニコライ・グルーベ(Nikolai Grube)氏は7月30日の声明で述べている。
別のカップには日付が記されていた。グルーベ氏と発掘チームのカイ・デルベンダール(Kai Delvendahl)氏が解読したところ、紀元711年を意味しており、王子の生存年代の手掛かりになった。
グルーベ氏によると、マヤ文明の遺物には、持ち主に言及したメッセージが書かれている場合が多いという。「王子のカップはすべて盗掘品だった。考古学調査で発見したのは今回が初めてとなる」。
マヤ文明は、現在のグアテマラ、ベリーズ、メキシコのユカタン半島の大部分の地域で栄えた。紀元300年前後からの古典期は最も繁栄した時代だったが、相次ぐ干ばつや政治闘争を経て紀元900年ごろに衰退してしまう。
◆王になれなかった男
ウシュルで発見された小さな墓には、翡翠(ひすい)製の装身具がない。この王子は王位継承の候補者から外れていたようだ。
テキサス州にあるトリニティ大学の考古学者ジェニファー・マシュー氏は、「王位継承者なら、本人似の仮面や円筒形の耳飾りなど、豪奢で精巧な翡翠の遺物が必ずある」とコメントする。「王族だが継承権はなかったと推察できる」。
またグルーベ氏は、盗掘の可能性はないと考えている。同氏はナショナルジオグラフィック ニュースに対し、「入口が岩で塞がれており、私たちが調査するまで、完全に手つかずの状態だった」と説明している。
◆名声と権力
王位を継承できる地位にはなかったが、彼は大きな富を手に入れたようだ。
紀元705年ごろまで、現在のカンペチェ州にあるウシュルは、26キロほど離れたマヤの大都市カラクムルの統治下にあった。しかしその後、カラクムルが衰退して影響力が弱まると、この王子の一族がウシュルの支配者となる。
神の化身、それがマヤ文明の支配者だ。「一族はあらゆる富を手にしたはずだ」とマシュー氏は語る。「身内の名声と権力が高まれば当然、その恩恵が彼にも及んだことだろう」。
Photograph courtesy Uxul Archaeological Project, University of Bonn