砂漠のミイラ文化、チンチョーロ

2012.08.14
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チリ北部のアタカマ砂漠に埋まっていた古代のミイラ(資料写真)。世界で最も乾燥した砂漠の気候により、皮膚や頭髪、衣服が今も保存されている。

Photograph by Enrico Ferorelli, National Geographic
 チリ北部のアタカマ砂漠から、古代のミイラが多数出土している。世界で最も乾燥した砂漠の気候により、皮膚や頭髪、衣服が今も保存されている。かつて同地に栄えたチンチョーロ文化のミイラは、脱水作用がもたらした偶然の産物だったのかもしれない。 チリ北部からペルー南部の沿岸部で狩猟採集生活を送っていたチンチョーロ人は、古代エジプトより数千年早く、紀元前5050年頃にはミイラを製作していた。ミイラ作りと死者崇拝が興った経緯は長く不明で、湿潤なアマゾン盆地から伝わったという説もある。

 チンチョーロのミイラに関する最新研究を発表したチリ・カトリック大学の考古学者パブロ・マルケ(Pablo Marquet)氏は、アタカマ地方の砂漠化が原因と指摘する。「気候が変動すれば社会は崩壊すると考えるのが定説だった。しかし、私たちの分析では、より複雑な文化を持つ社会が成立するという結論に至った」。

 マルケ氏率いる研究チームは、こうしたミイラ製作の慣習が始まったのは約7000年前、付近のアンデス山脈の降水量が増えた時期と一致していると推測している。

「降水量の増加によって帯水層が満たされ、山のふもとでも真水が利用できるようになる。魚、貝、アシカ、アザラシなどの獲物をはじめとする資源も豊かになった」。その結果、人口が急増し、さまざまな技術革新が生まれたとマルケ氏は考えている。

 極めて乾燥したアタカマ砂漠の気候に加え、7000年前にチンチョーロ文化で発生した人口急増もミイラ製作の一因になったという。マルケ氏は、「人口規模が大きいほど、多様な技能が発達しやすい。ミイラ作成のテクニックが考案されると、急速に広まったのだろう」と説明する。

 チンチョーロ文化のミイラ製作は、人体の再造形の工程を辿る。まず、遺体から肉をはがして内臓を取り除く。次に、むき出しの骨を洗浄・補強、体内に土やヨシを詰め、酸化マンガンを混ぜた灰色の粘土で“肉体”を形作る。

 多くのミイラは頑丈に作られていた。葬儀では、ミイラを連れて練り歩いた後に展示したと考えられており、移動に耐えられる必要があったのだ。

 さらに、幾重にも塗装されたミイラも見つかっている。壊れやすいので定期的に修復する習慣もあったらしい。

 ミイラ化に値するのは王族や貴族だけと考えた古代エジプト人と違い、チンチョーロ人は年齢や地位に関係なくほぼすべての人に対して神聖な儀式を執り行った。乳幼児や、時には胎児でさえも、成人と同様な手厚い方法でミイラとなっていた。

 チンチョーロ人は、紀元前5000年頃からミイラ作りを始めた。当初は酸化マンガンと灰を使用した黒ミイラで、紀元前2800年頃になると酸化第二鉄を塗った赤ミイラが製作されるようになった。チンチョーロ文化における色の意味が変化したか、主原料の黒い酸化マンガンが手に入りにくくなったことが原因と指摘されている。

 そして約4000年前、「エルニーニョによる気候変動で環境が不安定になり、乾燥化がさらに進んだ頃に、ミイラ製作の習慣が途絶えた。環境の変化でそれまでの人口規模を支えきれなくなったのだろう」とマルケ氏は話している。

 研究の詳細は、「Proceedings of the National Academy of Sciences」誌オンライン版で8月13日に発表されている。

Photograph by Enrico Ferorelli, National Geographic

文=Ker Than

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