恐怖の対象として人々の記憶に深く刻み込まれているヨーロッパの伝承について、ナショナル ジオグラフィックの歴史学者も務めたマーク・コリンズ・ジェンキンス(Mark Collins Jenkins)氏は、著書『Vampire Forensics(吸血鬼の法医学)』の中で次のように述べている。「数千年前の墓からは、杭を打ち込まれたり、縛られた遺骨がいくつも見つかっている。うつぶせや、首を切断された状態で埋葬される場合もあった。いずれも、死者が墓から出て襲ってこないようにするためだ」。
ブルガリア国立歴史博物館館長のボジダル・ディミトロフ(Bozhidar Dimitrov)氏は、「中世の異教信仰では、タブーとされる行為を犯した人物は死後、吸血鬼へと変身し、生者を苦しめると考えられていた」とロイター通信の取材に語っている。また、12~14世紀のブルガリアでは異教信仰が広がっており、現世で悪行を働いた人間は死後に吸血鬼となって蘇ると考えられていたという。遺体に鉄の棒などを打ち込む行為は、吸血鬼への変化を防ぐために行われた。
イタリア、フィレンツェ大学の法医考古学者マッテオ・ボリニ氏によると、東ヨーロッパで盛んだった吸血鬼信仰は、17世紀末ごろから西ヨーロッパにも浸透していったという。同氏は2009年にベネチアで、吸血鬼と疑われて口をレンガでふさがれた16世紀の女性の骨を発掘している。
当時のブルガリアでは、吸血鬼と疑われる人の扱いについて独自の考えと儀式はあったものの、吸血鬼の概念についてはヨーロッパに広くあったものと大きな違いはなかったとボリニ氏は話す。「背景としては東欧全域でほとんど同じだった。吸血鬼(の概念)自体は同じで、違いがあったのは吸血鬼が人を攻撃する方法と、その攻撃を止めるために用いられたエクソシズム(悪魔払い)の方法だけだ」。
ジェンキンス氏は前掲書で、吸血鬼のように死者が人肉を食べるという考えはヨーロッパでは17世紀まで現れないと述べている。しかし、ソゾポルの一方の遺体から歯が抜かれていたことは、ブルガリアではその考えがさらに数百年前から存在した可能性を示唆している。
ボリニ氏によれば、ブルガリアを含むヨーロッパ全域で、19世紀までに吸血鬼を信じる考え方は滅び始めるが、考古学者としては当時のそうした考え方の証拠を発見することには大きな意味があるという。「今回のような発見は、ベネチアでの私の発見も含め、意義があるものだ。これらは民俗伝承の証拠であり、そこから地域における古代からの伝統を当時の人々の恐怖とともに再構築することができる」。
Photograph by Nikolay Doychinov, AFP/Getty Images