バイキングの軍事都市、ドイツで発見?

2012.07.12
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ドイツ北部で発掘が進む8世紀頃に栄えた都市遺跡。

Photograph courtesy Andres S. Dobat, Aarhus Universitet
 8世紀頃に栄えた軍事都市がドイツ北部で発見された。歴史的文献にも記されている、史上最古のバイキング居住地の可能性があるという。 発掘現場は、デンマークと国境を接するシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州の町フュージンク(Fusing)。フランク王国のカール大帝に仕える書記官が西暦804年に記した、“失われたバイキング都市”スリエストルプ(Sliesthorp)ではないかと取りざたされている。

「スリエストルプは、スカンジナビアの最初期の王が軍事基地として利用していた。最近まで所在地の見当も付いていなかった」と、発掘チームのリーダーでデンマーク、オーフス大学のアンドレス・ドバット(Andres Dobat)氏は話す。

 文献の都市かどうか現時点では確証がないが、初期バイキング時代の軍事組織や都市計画を解明する貴重な資料が眠っていることは間違いない。2010年の調査開始以来、出土した建物は約30件。航空写真や地磁気調査の結果から、合計200件ほどが存在したと推定されている。

 中心的な建築物はバイキング様式で、長さ約30メートル、幅9メートル程度と細長い。この細長い家屋には燃えた痕跡があり、何らかの攻撃を受けた可能性が高い。黒焦げの柱に刺さっていた矢じりも、激しい戦いの過去を物語っている。

 入り口付近では鉄菱(てつびし)も見つかった。棘のある小鉄片で、地面に散布して敵の進退を妨害する武器である。「焼け出された敵に追い打ちを掛けるためではないか」とドバット氏は推測する。

 その他、宝石類やガラスのビーズ、銀貨なども出土しているという。

◆“失われた都市”は防衛の要衝?

 発見された都市は、地理的に近いダーネビルケ要塞と同時代にまでさかのぼる。西暦700年当時、デンマーク地方に居住していたバイキングの一族、デーン人が築いた全長30キロの土塁群だ。「ダーネビルケとの位置関係から、この都市が防衛上重要な役割を果たしていたことは間違いない」とドバット氏。

 西暦804年の記録によると、スリエストルプはバイキングの王ゴトフレドが軍事基地として利用していた。ゴトフレドは、北へ領土を拡大していたフランク王国に脅威を感じ、800年代初期にダーネビルケを再建した人物だ。「フランク王国の記録にスカンジナビアが登場した時期と重なる」とドバット氏は話す。

 都市自体が要塞だったわけではないが、水路や湿地に囲まれ、幅の狭い陸路を通る以外に攻め入る方法がなかった。発掘された竪穴式住居は、バイキングの戦士が宿泊していたと見られる。ダーネビルケの守りを固めるときには、この都市が守備隊の駐屯地になることもあっただろう。巨大なダーネビルケの建設時期には、作業員の宿泊地だった可能性もある。「あれだけの規模なら、相当な人員がつぎ込まれたはずだ」と同氏は語る。

◆バイキングの権力基盤

 バイキングの王や配下の族長たちは、この都市を拠点に交易や通行を統制していたようだ。

 4キロほど先には、国際的な港で交易の要衝だったヘーゼビューがある。フュージンクはスカンジナビア様式の都市だが、ヘーゼビューではドイツやスラブ系の建築物が見られるという。「交易商人や職人が集まる港町の数キロ先に、エリート層が住む軍事基地があった」とドバット氏は説明する。

 フュージンクとヘーゼビューの位置関係から考えて、海を渡ってきた商人はバイキングの首領の許可がなければ入港できなかっただろう。「発掘が進むにつれ、当時の都市社会の風習や権力構造について多くのことがわかってきた」と同氏は述べる。

 デンマーク国立博物館のマッツ・デングソ・イェッセン(Mads Dengso Jessen)氏は、「バイキング時代の交易都市の発展を理解する上で重要な手掛かりだ。発掘以前は、ヘーゼビューのような豊かな都市が成立した背景がまったくわからなかった」と評価する。

「フュージンクは、交易港が発展する前から重要な居住地として栄えていた。国際的な港には、その基盤となる都市が近くにあるものだ。周辺を統治する地元の首領が存在し、商人から税金や地代を徴収していた可能性もある」。

 イェッセン氏は新発見の遺跡について、「スリエストルプとは断定できない」と注意を促している。「しかし、現時点では最有力の候補だろう」。

Photograph courtesy Andres S. Dobat, Aarhus Universitet

文=James Owen

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