「フェニキア文明は、ローマの隆盛を迎えるころには歴史の表舞台から消えてしまった。以後のフェニキア人について知られていることはほとんどないため、彼らの遺伝子を追跡しようと研究に着手した。今回の結果は、ギリシア人やモンゴル人の進軍など、別の大移動が遺伝子分布に与えた影響を解明する上でも役立つかもしれない」。
タイラースミス氏らは、DNAサンプルと歴史的、考古学的な記録とを照合しながら研究を進めた。かつてフェニキア人の交易の中心であった地中海諸国(シリア、パレスチナ、チュニジア、モロッコ、キプロス、マルタ)の男性1330人からY染色体が採取され、分析が行われた。母系で受け継がれるミトコンドリアDNAとは異なり、父系で継承されるY染色体からはより詳細な遺伝情報が得られると考えられている。
Y染色体のデータを分析した結果、地中海周辺地域にはフェニキア人に関連する遺伝子系統が少なくとも7系統あることが明らかになった。フェニキア人が交易先の各地に遺伝子を広め、いまも該当地域の6%の人に継承されている可能性が示唆された。「フェニキア人の名残は現代の人々にも受け継がれていることが示された」とタイラースミス氏は話す。
この研究は「American Journal of Human Genetics」誌の最新号に掲載されている。
オーストラリア国立大学に所属する人類生物学者コリン・グローブス氏は、この研究を受けて次のようにコメントする。「非常に見事な研究結果だ。古代フェニキアの交易商人と、現代に残る交易都市の人々に遺伝子的なつながりがあることがはっきり示されている。ただ、この研究は男系の系譜を示すY染色体のみが対象なので、この地域で男子が一度も途切れずに続いてきた家系のことしか分からない。娘しか生まれないことが一度でもあるとY染色体の継承は途切れてしまう」。
また、この結果から、フェニキア人の活動地域を特定の範囲に限定するべきではないとも言う。「今回の研究から言えるのは、“対象地域にY染色体の系譜が途絶えない程度に数多くのフェニキア人がいたらしい”ということだけだからだ」。
Illustration by Robert Clifford Magis