ガラマンテスの要塞を発見、リビア

2011.11.10
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古代北アフリカの謎の民族ガラマンテスが作った泥レンガの構造物。

Photograph by Toby Savage
 リビアで繁栄した謎の文明の遺跡が素晴らしい保存状態で発見された。サハラ砂漠の複数の衛星写真に、リビア南西部の“失われた文明”によって築かれた100を超える要塞集落が写っていたという。 このコミュニティーは高度な文明を持つ謎多き民族ガラマンテス(Garamantes)が作り上げ、紀元前後から500年ごろに存在したと推測される。リビア中部のフェザーン地方を支配していたガラマンテス人は、紀元前2世紀から紀元7世紀ごろにかけて繁栄した。

 研究チームは石油業界で使われる高精細な写真を含む最近の衛星画像と、1950~1960年代に撮影された航空写真を詳しく調べ、壁で囲まれたガラマンテスの町や村、農場を発見した。

 そして2011年に入り、現地調査でガラマンテスの陶器を収集、首都トリポリから約1000キロ南の地点で要塞の存在が確認された。現地では42年に及んだムアンマル・アル・カダフィ政権の崩壊へとつながる内乱が始まり、調査は日程の短縮を余儀なくされた。

 プロジェクトを率いるイギリス、レスター大学のデイビッド・マッティングリー氏は、「泥レンガの保存状態に驚いた」と振り返る。「風食などの影響で少し崩れていたが、壁が3~4メートルの高さで残っている箇所もある」。

◆“驚くべき”構造物

「正確に設計された直線的な構造は、古代ローマが国境に築いた要塞と勘違いしてもおかしくない」とマッティングリー氏は話す。「しかしここは、ローマ帝国の国境から遠く離れている。遺跡はアフリカの民族が築いた強大な王国の証拠だ」。

 さらに、マッティングリー氏らは、墓地や農場を含むこれら遺跡の密集度に驚愕した。 例えば、4平方キロの範囲に村のようなコミュニティーが少なくとも10個集まっている場所もあった。「異常なほど密度が高い」と同氏は話す。

 ガラマンテスに関する歴史的な手掛かりはそれほど多くない。今回の遺跡から北西に200キロほど離れた彼らの首都ジャーマ(Jarma)の発掘や、古代ローマ、ギリシャの文献に限られている。

「非常に洗練された高度な文明を持つ民族というイメージだ」とマッティングリー氏は述べる。「彼らは冶金技術やとても上質な織物、文字を持っていた。組織化された国家レベルの社会だったことを示している」。

 オックスフォード大学の考古学者フィリップ・ケンリック氏によれば、資金不足のリビア当局は現地調査ができなかったので、ガラマンテス文明の解明が進んでいなかったという。

 欧州連合(EU)の欧州研究会議から340万ドル(約2億6000万円)の助成金を得たマッティングリー氏のチームは、「かつてないスケールで新事実を発見している」とケンリック氏は見ている。なお、同氏はこの研究に参加していない。

◆サハラに緑を生み出した古代文明

 見つかった遺跡は、ガラマンテスが高度な灌漑技術を持っていたことも示している。砂漠に緑のオアシスをつくり出していたという。「サハラ砂漠の真ん中は極めて乾燥している。地下水を利用し、この環境を変えられるのは人間しかいない」とマッティングリー氏は説明する。

 ガラマンテスは地下に用水路をつくり、先史時代から貯留されていた水を掘り起こした。そして、コムギ、オオムギ、イチジク、ブドウといった地中海の作物や、サハラ砂漠以南のモロコシ、トウジンビエ、綿花などを栽培した。

◆水を使い果たした?

 ガラマンテスの末路は謎のままだ。しかし、マッティングリー氏らは地下水が枯渇し、砂漠のコミュニティーが衰退したのではないかと見ている。

 また、ガラマンテスはサハラ砂漠を越えた周辺国との貿易に依存していた。オックスフォード大学のケンリック氏によれば、ローマ帝国が崩壊し、地中海地域で紛争が増えた結果、貿易に深刻な影響を受けた可能性があるという。

Photograph by Toby Savage

文=James Owen

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