イラク古代遺跡、略奪より放置が問題
2008.08.12
ただし、同調査チームは、イラク国内のほかの場所ではかなり状況が違う可能性もあると警告もしている。また、古代メソポタミア文明の複数の遺跡では、放置や軍事行動による甚大な被害も見られたという。とはいえ、現在のバグダッドからおよそ240キロ南にあるラルサという略奪の被害がひどかった遺跡ですら、「2003年後半から2004年ごろの状況とは一変していた」とストーン氏は報告している。なお、イラク南部の別の遺跡では略奪の跡が認められたが、少なくとも4年以上前に行われたものと考えられるという。
紀元前2100~2000年にシュメール文明の主要都市として栄えたウルなどの遺跡では、別の種類の被害が確認された。ウルはジッグラトという階段状の聖塔や王家の墓があることで有名な遺跡だが、湾岸戦争(1990~1991年)で近隣のタリル空軍基地が爆撃を受けた際に被弾している。ウルのジッグラトについては、前出のストーン氏も「最後に視察した1992年当時に比べて“かなり荒廃”していた」と話す。
「爆撃によって、ジッグラトを守るコンクリート製の保護層にひびが入り、古代のレンガに水が染み込んで侵食しているのではないか」と同氏は懸念している。同調査チームは、複数の王家の墓で壁の崩落が始まっていることも確認したという。
今回の調査報告では、2003年の軍事侵攻よりも前に掘られていたイラク軍の防御陣地や、その後の連合国軍による統制のとれていない行為が遺跡に悪影響を及ぼしている可能性も指摘されている。「数万人の軍靴で遺跡が踏み付けられたのは、われわれが望まないことだった」。
調査チームメンバーで大英博物館の後期メソポタミアコレクションの学芸員であるポール・コリンズ氏は、「全体的に見て、最も深刻な脅威は“放置”だ」と語る。「目下の問題としては、略奪や軍による被害はさほどではなく、これらの遺跡が30年もの間、顧みられずにいたことだ。イラク考古局は、人員の不足から、遺跡の調査や、保全、修復の作業ができる状態になかった」。同氏の話では、多数の古代遺跡が「何の対策も取られず朽ち果てようとしている」という。
また同氏は、「研究対象になっている遺跡で略奪がなくなったように見えるのは、2003年にイラクがイタリアの支援を受けて施設警備サービス(FPS)を設置して以来、セキュリティが強化された影響もあるかもしれない。視察した遺跡のいくつかでは完全武装したFPSの警備員を見かけた」とも語っている。
もっとも、「国内に何万とある遺跡のうち、たった8カ所を調査したところで全体の状況は分からない」と同氏は強調する。「本当に現状を把握する」には、イラク全域にわたって同様の調査を進める必要があるという。シカゴ大学文化政策センターの所長であるローレンス・ロスフィールド氏は、「2003年以降にも複数の遺跡でひどい略奪が行われた証拠はたくさんある」と指摘する。それでも、今回の調査報告からは、「軍隊に略奪を許さない姿勢があれば予防も可能だということがわかる」という。「イラクが支援を取り付けられれば今後も略奪を取り締まっていけるかもしれない」。
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