ロマノフ朝の皇太子アレクセイ(右から2人目、周りは両親と姉妹)とその姉は1918年に家族と共に処刑されていた。2009年3月に新たな証拠が示され、決定的となった。

File photograph from the Associated Press
 ロシア最後の皇帝の子どもたちのうち、行方不明とされていた2人は1918年に家族と共に処刑されていた事実が新たな証拠によって明らかになった。1世紀近くにわたって世界から注目されてきた事件がついに解決の時を迎えた。 疑いようのないその証拠によると、ロシア中央部の都市エカテリンブルグの墓地で2007年に見つかった男の子と女の子の遺体は、ロマノフ朝の皇太子アレクセイとその姉のものだという。

 2人の遺体は共同墓地から数キロ離れた場所に一緒に埋められていた。この共同墓地では1991年、2人の姉妹3人と両親である皇帝ニコライ2世、皇后アレクサンドラの遺骨が発見されている。

 研究を率いたマイケル・コブル氏によると、3種類の方法でDNAを分析した結果、2人の遺体がロマノフ家と無関係である確率は“約4兆3000億分の1”だという。同氏はアメリカ東部メリーランド州ロックビルにあるアメリカ軍DNA鑑定研究所(AFDIL)で研究部門の責任者を務めている。

 ロマノフ朝は300年にわたって続き、1917年のロシア革命でその幕を閉じた。10月革命後、ニコライ2世一家はウラル地方のエカテリンブルグに移され監禁された。実権を掌握したレーニン率いるボリシェビキは、皇帝一家の支持者による救出を恐れて処刑隊を差し向け、1918年7月17日、ニコライ2世と家族全員および4人の従者を殺害した。

 共同墓地に埋められていた遺体については、DNA鑑定で一家のものと確認されていたが、2人だけがなぜか別の場所に埋葬されていたため、一家とは関係のない子どもではないかという憶測を呼んだ。コブル氏によると、「もしかしたら誰かが生き残り、ロシアを脱出したかもしれないというロマンティックな考えが広まった」という。

 2007年、ロシア政府はコブル氏に、発見された遺体の調査を率いてほしいと依頼した。コブル氏らには比較のため、ニコライ2世と家族の遺骨44個が提供された。コブル氏らはまず、母親から遺伝するミトコンドリアDNAを調べた。その結果、行方不明だった2人の子どもと母親アレクサンドラ皇后の遺骨、母方の親類であるエディンバラ公フィリップに一致が見られた。

 次に、両親から受け継がれるDNAを用い、「父親を特定するための大規模な検査」を行った。コブル氏によると、15のDNAマーカーが新たに発見された遺体の試料と一致したという。この研究成果はオンラインジャーナル「PLoS ONE」に掲載されている。

 最後に、遠い親族にあたる健在のアンドリュー・ロマノフ氏のDNAを調べたところ、男の子と17のY染色体のマーカーを共有していることが判明した。

 アメリカ海軍で艦長を務めていて現在は引退したピーター・サランディナキ氏にとって、今回の研究成果は、「ロシアの歴史の非常に悲しい1章を締めくくる」という自身の目標を実現するものとなった。サランディナキ氏の曽祖父は1900年代の前半に、ニコライ2世配下の陸軍で中将を務めていた。そうした経緯もあり、同氏は行方不明の子供の遺体を探そうと自らSEARCH財団を設立した。

「行方不明になっていた2つの遺体が見つかり、皇太子アレクセイとその姉のものと確認された。うれしいと同時に安心している」とサランディナキ氏は語った。

File photograph from the Associated Press

文=Christine Dell'Amore