※この調査についての詳細は、2015年12月30日発売の『ナショナル ジオグラフィック日本版』2016年1月号で海氷の最新状況を伝える図解や写真を含めて詳しく紹介します。
物珍しそうに近づいてきたホッキョクグマを照明弾で追い払う。外気温はマイナス40℃まで急落し、あまりの寒さにケーブルが切れて電気機器が作動しなくなってしまった。6週間続いた暗闇の後、凍てついた北極海にようやくわずかながらも昼の明かりが戻ってきた。
北極の海氷の動きを調査するなら、流れに任せて一緒に漂流するとよい。科学者らは6カ月間の予定で、ノルウェー極地研究所(NPI)の海洋調査船ランスに乗り込んだ。冬の間に氷が形成され、初夏に解けるまでの全ライフサイクルを間近で観察するのが目的だ。
ノルウェーは極地探査にかけては長い歴史を持つ。1893年にやはり氷に閉ざされて北極点へ行こうとしたノルウェーの科学者フリチョフ・ナンセンのフラム号が通ったルートをランスは横切るはずだが、今回の科学的調査は前代未聞の試みである(ナンセンの関連記事「氷の世界の1000日」)。
「北極海での探査はほとんどが夏に行われており、この期間のデータは山のようにあります。けれども、冬から春にかけての様子はほとんど知られていません。例えば、北極海の生態系がどのように春を迎えるのか、海氷の上にどのように融解池が形成されるのかといったことです」ランスに乗船しているNPIの物理学者ガンナー・スプリーン氏はそう語る。
1月はじめにスバールバル諸島の中にあるスピッツベルゲン島を出港し、ノルウェー沿岸警備隊の砕氷船に先導されて、ランスは北へ向かった。増え続ける氷をかき分けながら、北緯83度の地点へ到着すると、そのまま漂流を始めた。浮標、海洋計測機器、砕氷ドリル、大気環境測定器、気象マストなど完全装備の「研究室」が、1キロ四方の氷盤の間に配置された。
そして2月中旬、ノルウェー、ロシア、韓国、日本、ポルトガル、ドイツ、フランス、デンマーク、米国の研究者らによる第2調査団が、沿岸警備隊の船で世界最北の町ロングイェールビーエンを出発し、途中ヘリコプターに乗り換えて、漂流中のランスへ向かった。ここで第1調査団と交代し、研究を引き継ぐ。写真家のニック・コビングと私もこれに同行し、今後4週間かけて、世界の果てで行われている海氷調査の様子を現地取材する。
気温を下げる氷冠が劇的に減少
過去数千年間、北極海を覆う広大な氷冠は、太陽の光を反射して熱を宇宙へ逃がし、地球の気温を下げる役割を担ってきた。氷冠の大きさは3月には最大になり、9月には最小になるというように季節によって変化するものの、ここ20年ほどの記録を見ると、劇的に縮小を続ける一方だ。
米国雪氷データセンター(National Snow and Ice Data Center)によると、2012年9月にそのサイズは記録史上最小となり、1981年から2010年の平均値のわずか52%にまで縮小した。氷の厚さも薄くなっている。2012年9月時点の海氷量は、長期的平均値のわずか40%だった。比較は最小値と平均値ではあるものの、かつてはほとんどが何年も解けることのない厚い氷盤だったものが、今では毎年出現しては解ける薄い氷ばかりになってしまった。
海氷の量が減少すると、北極の気温が上昇する。形成されて1年しか経っていない氷は、多年氷と比較して、太陽熱の反射能力が10%劣ることがわかっている。つまり、解けるのも早い。NPIのデータによると、1年氷は1カ月あたりの解ける量が多年氷と比べて13センチ分多い。氷が解けて暗い海水面が露出すると、太陽熱は海水に取り込まれ、雲が発生し、気温は急上昇する。
実際、データを見ると北極圏の気温は世界的平均より2倍も速い速度で上昇していることが分かる。夏場の海氷の量は下降の一途をたどり、今世紀後半には、船が北極点を障害なく通過することが出来るようになるといわれている。そうなれば、ホッキョクグマから微小な植物性プランクトンまで、海氷に依存する全ての生態系は壊滅的な打撃を受け、北半球全体の気候パターンも影響を受けることが予想される。
すべては北極まかせ
6カ月(1月9日~6月27日)にわたり、NPIの研究者らは海氷の動きを観測し、それが海面下の水温や乱流、上空の雲や雪にどう影響するかなどといった、より正確な気象モデルを作るための基本項目を調査する。また遠隔操作装置を使い、氷盤の裏側を調べ、そこに発生する藻を研究する。
ランスは数日前、ちょっとしたアクシデントに見舞われた。1月にノルウェー沿岸警備隊の砕氷船スバールバルがランスを先導していた際、成長する浮氷の中に安全に停泊させたはずだったが、6週間吹き続けた強い風のせいで船は南に流され、ひびの入っている氷盤の縁のところに来ていた。私たちが新たな調査団とともに到着する前日、調査中の氷盤はいくつもの小さな氷塊に砕けてしまっていた。
氷点をはるかに下回る厳しい寒さの中、科学者らは3日3晩機器の回収に追われたが、全てを取り戻すことは出来なかった。
「私たちの調査を牛耳っているのは北極そのものです。北極では何が起こるか予測できません」NPIの海洋学者であるアメリエ・マイヤーは言う。「機器は壊れるし、行きたいところにも行けないし、気象もわかりません。それが極地調査の現実です」
本記事を書いている2月22日現在、スバールバルは再びランスを先導し、氷を砕きながら新たな道を切り拓いている。氷の海をさらに奥深く北東へ向かって進み、数日後には再び漂流を始める予定だ。