エボラ特集4:「エボラ孤児」1万人の行方

世界報道写真賞受賞、被害国の実情ルポ(第4回)

2015.02.24
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エボラ出血熱で親を亡くした孤児は1万人を超える。心の傷を抱えた子どもたちの行方を追った。5回シリーズの第4回。
■第1回 シエラレオネはなぜ無防備だった?
■第2回 秘密集団を止められるのは首長だけ
■第3回 「伝統の埋葬」が蔓延を助長した

シエラレオネにあるヘイスティング・エボラ治療センターで、エボラ出血熱から回復し、退院した人たちのために式典が行われた。式が終わった後、会場に1人残るモライ・カマラ君は、推定年齢12歳、エボラ出血熱で家族全員を失った。ただひとり生存したものの、胃の痛みが続き、歩行にも困難が残る。さらに治療を続けるため、別の病院へ移された。(Photograph by Pete Muller, Prime for National Geographic)

 昨年9月、エボラ出血熱に倒れみるみる弱っていく母親を、17歳のハリス・ウレーと9歳のマーシー・ケネディの兄妹は、たった2人で2週間看病した。母親のマリー・ウレーさんは夫に先立たれ、近所の市場で物を売って生計を立てていたが、やはりエボラウイルスに感染した女性の世話をして、自らも感染してしまったのだ。

 2人の子どもたちは、母親と一緒にリベリアの首都モンロビアにあるコンクリートブロックの粗末な自宅に隔離され、近所の人たちが外に置いていった食べ物を母親に食べさせたり、体を拭いたりして懸命に世話をした。マリーさんは状態が悪くなる中、息子を枕元に呼び、将来はコンピューターのプログラマーを目指し、妹にも必ず教育を受けさせるようにと約束させた。

エボラ出血熱によって孤児となった子どもたちと遊ぶポール・トゥレイ師(写真中央)。ドン・ボスコ一時ケアセンターの主任神父を務める。(Photograph by Pete Muller, Prime for National Geographic)

 10月1日、子どもたちは母親と一緒に救急車に乗せられ、市内にあるエボラ治療施設へ運ばれた。母親はその翌日、施設で息を引き取った。

 その後子どもたちは一時ケアセンターへ送られ、そこでエボラ出血熱の経過観察期間が終わるまで過ごした。「ここへやってきた時、兄のハリスはショック、混乱、恐れ、そして絶望が全て入り混じった状態にありました」と話すのは、ユニセフの児童保護担当官ミアッタ・アブドゥライ=クラーク氏だ。ハリスに何か必要なものはないかと聞いたところ、「ねえ、ミアッタさん。ここで21日間(の観察期間)を過ごした後、僕と妹はどうなるんだろう。行く場所はないし、頼る人もいない。どうしたらいい?」と答えたという。

 それを聞いたアブドゥライ=クラーク氏は、目にゴミが入ったふりをして背中を向け、こっそりと涙をぬぐった。そして、住む場所を必ず見つけてあげると約束した。

ドン・ボスコ一時ケアセンターで、音楽の授業を受けるエボラ孤児たち。同センターは、西アフリカで奉仕活動を行うカトリック修道会「サレジオ会」によって運営されている。センターの名前は、サレジオ会の創立者聖ヨハネ・ボスコ(愛称:ドン・ボスコ)の名から取られた。(Photograph by Pete Muller, Prime for National Geographic)

エボラ孤児、1万1000人に

 リベリア、シエラレオネ、ギニアでは2013年12月以来、2万2000人以上がエボラ出血熱を発症し、8810人以上が死亡している。その5分の1が子どもだ。だが命を落とすまではいかなくても、大勢の子どもたちが人の死と苦痛を目の当たりにし、心に深い傷を負った。

 エボラ出血熱によって一方あるいは両方の親を失った子どもたちは、1万1000人以上になる。ユニセフやセーブ・ザ・チルドレンなどの国際支援団体は、3国の政府や地元団体と協力してこうした子どもたちの支援を行っているが、状況は極めて厳しい。

 エボラ孤児となった子どもたちの心の傷は大きいと、セーブ・ザ・チルドレンのCEOキャロリン・マイルズ氏は言う。彼らの多くが、目の前で親が死んでいくのを見たり、自分自身もウイルスに感染したり、あるいは感染するのではないかとの不安に苛まれている。家へ戻りたくても、近所の人たちから嫌がられることもある。

ドン・ボスコ一時ケアセンターで英語の授業を受ける子どもたち。センターにいる子どもの多くは、親をエボラ出血熱で亡くしただけでなく、自らも病にかかった。(Photograph by Pete Muller, Prime for National Geographic)

 また、感染したり孤児になったりしなくても、多くの子どもたちが間接的にエボラの被害を受けている。ギニアとリベリアでは、閉鎖されていた学校が最近になってようやく再開された。シエラレオネでも3月に再開する予定になっている。流行が始まった頃、かろうじて機能していた西アフリカの医療ケアシステムは、いまや完全に崩壊してしまった。農民たちは作物の取入れを放棄し、食糧不足も危惧されている。

「この国の子どもならおそらく誰でも、エボラ・ニンジャと呼ばれる作業員が、住宅や寝室に薬を撒いたり、人々を運び出す光景を目撃しています。これら全てが子どもたちの脳裏に焼きつき、この先何年にもわたって影響を及ぼすかもしれません」と、ユニセフのリベリア事務所代表シェルドン・ヤッテ氏は語る。

21日間の経過観察

 エボラ孤児たちの多くは、近くのケアセンターへ送られる。エボラ出血熱の潜伏期間は長くて3週間とされ、その間経過を観察するため、ケアセンターで過ごすのである。ハリスとマーシーも、ここに21日間滞在した。病気の母親にずっと付き添っていた2人だったが、幸いどちらも発症することはなかった。

ドン・ボスコ一時ケアセンターで、スポーツを楽しんだ後体を洗う少年たち。(Photograph by Pete Muller, Prime for National Geographic)

 経過観察期間が終わると、センターは子どもたちの受け入れ先を探す。選択肢として最初に挙げられるのは、親戚の家だ。「子どもたちにとって一番良いのは、家族とともに暮らすことです。孤児院へ送ることはできるだけ避けたいのです」と、ヤッテ氏は言う。

 親戚は、子どもたちを喜んで迎え入れることが多い。それでも中には、医療機関の診断を受けているにもかかわらず、子どもたちの感染を疑う人もいる。そうした場合でも、ほとんどは、時が経つにつれて不安も薄れ、受け入れに同意する。

 ところが、ハリスやマーシーのように、頼れる家族や親戚が全くいない子どもたちもいる。

新たな家庭を探して

 多くの場合、親戚は支援が保証されていなくても孤児たちを受け入れてくれるが、養育費の問題は大きい。子どもに食事を与え、服を着せ、教育を受けさせるには費用がかかる。そこで、支援団体や保健省が支援金、生活用品、医療ケア、精神医療サービスを援助することもある。

ドン・ボスコ一時ケアセンターの宿舎を出るエボラ孤児の少女。(Photograph by Pete Muller, Prime for National Geographic)

 シエラレオネの首都フリータウンで活動するNPO「GOAL」の児童保護担当者エリザベス・ドレフロウ氏は言う。「少しでも支援が受けられるなら、自分の子でなくても受け入れようという人は多くなります」

 しかし、引き取りに来た人間が本当にその子の家族なのか、それとも家族を装った人物なのかを判断するのは難しい。特に、幼い子どもの場合は注意が必要だ。エボラ治療施設に現れて、孤児になった子どもたちを連れ去り、搾取しようとする者がいるという噂がある。ドレフロウ氏は直接目撃してはいないが、実際にあってもおかしくはないという。「エボラ危機が西アフリカ諸国を緊迫状態に追いやり、最悪の事態をさらに悪くしています」

 シエラレオネでは公共サービスがほとんど機能していないため、子どもたちの親戚についての情報を調査するのは困難を極める。「あまりに情報が錯綜しすぎて、人によって言うことが違うのです。出生証明書も、住所も、身分証明書もないので、誰の話が本当なのか判断がつきません」

バスケットボールをするエボラ孤児たち。ドン・ボスコ一時ケアセンターには、4歳から16歳の孤児が40人以上滞在している。(Photograph by Pete Muller, Prime for National Geographic)

 GOALでは、子どもたちが受け入れ先の家庭で安全に、また適切な待遇を受けているかどうかのフォローアップ調査を行っている。「子どもたちが引き取られてから数カ月後も同じ家にいることが確認され、そして元気な様子であれば、受け入れは成功したといえます」

 すでに多くの家庭が孤児たちを家族として迎え入れ、ドレフロウ氏は喜ばしいことだと話す。「住んでいた地域へ戻れなかった孤児は、今のところいません」

明るい兆し

 ハリスとマーシーにもようやく運が回ってきた。ソーシャル・ワーカーが、2人の近所に住んでいた女性マルトゥ・ウィーフォルさんを探し当てたのだ。ウィーフォルさんの3人の子どものうち2人は、ハリスとマーシーと同年齢で、エボラ流行が始まる前から一緒に遊んでいた。ウィーフォルさんは2人の無事を聞いて喜び、すぐに2人を引き取ることに同意した。

トランポリンの順番を待つ子どもたち。(Photograph by Pete Muller, Prime for National Geographic)

 電話インタビューに答えたウィーフォルさんは、子育ては決して易しいものではないが、ハリスとマーシーはすでに家族のような存在だと語った。2人のことは以前からよく知っていたので、家に迎え入れることに何の違和感も感じていないという。「きっと、こうなる運命だったのだと思います。2人が無事でいてくれたことを、神様に感謝しています」

 そして、亡くなった2人の母親のマリーさんも、逆の立場だったらきっと同じようにしただろうと続けた。「彼女は優しい女性でしたから」

 ウィーフォルさんに代わって電話に出たハリスは、自分も妹も元気にやっていると話した。まだ学校が再開されていないので退屈な時もあるが、テレビを見たり、本を読んだり、絵を描いたり、近所の子どもたちと遊んで過ごしている。

 モンロビアでの流行もようやく収束へ向かい、エボラへの恐怖も消えつつあるという。
「大変だったけど、今はもうそれほど怖くありません」

■第1回はこちら「シエラレオネはなぜ無防備だった?」
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この取材は、国際非営利報道組織「Pulitzer Center on Crisis Reporting」の支援により実現した。

ドン・ボスコ一時ケアセンターで、カウンセラー(白のタンクトップの女性)と一緒にバスケットボールの試合を眺めるエボラ孤児たち。(Photograph by Pete Muller, Prime for National Geographic)

文=Karen Weintraub/写真=Pete Muller/訳=ルーバー荒井ハンナ

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